一人思考

【独り言①】分散世界

『分散世界』

『自分』という認識/知覚/概念が存在している系、次元、世界、宇宙、銀河、星、国、街、肉体、心――――その全ての空間的・時間的位置には、数多の情報塊が犇(ひし)めいている。

私見だが、それらを分解し、区別/分類したとすると、『自分』にとってその多くが雑念(ノイズ)であり、物理的・概念的な老廃物といえることに気が付く。

幾多の浪費により生成され、浪費により打ち捨てられ、多く者にとってはゴミとして扱われる有象無象。

恐らく全ての空間/時間には、物理法則の濫用/エネルギー順位の転位により、生じては即座に廃棄され、細かく砕かれて散乱してゆく雑情報に溢れている。

―――それが嫌だと思っていた。醜いとさえ思っていたころもあった。

人の営みを観察し、動植物の営みを観察し、俯瞰していく視点/意識は際限なく上昇/拡大していった。

そして最後には、物理法則そのものへの嫌悪感まで辿り着いた。

―――でも、それは当たり前のことだった。

全ての物事は、乱雑な方向へと進行していく。エントロピーは増大する方向へと進んでいく。

高いところから低いところへと、エネルギーは流れていく。

―――ごく当たり前のことだった。

一処(ひとところ)にエネルギーが偏在する秩序の保たれた状態から、まるで砂時計の砂が流れ落ちていくように、エネルギーは流出/分散していく。

乱雑さの増大は誰にも止められず、最後には何もかもが混和し、完全に均一な空間や時間が形成され、エネルギーの移動が停止する。

結果だけを見れば、ただそれだけのこと。

―――だが、その前にエネルギーは流動の過程で、様々なものに形を変え、様々な状態を経ていく。

結果に行きつく前、その過程にあるのが、私達の生きているこの世界。

最後にどこまでエネルギーが均一になるか未知数だが、それはこの系がどこまで閉じているかによる。

系同士は完全に別個として、距離を空けた状態で点在しているのか、それともマトリョーシカのように多層構造になっており、各層ごとが完全に閉ざされているのか―――。

何れにせよ、系の中は均一化する運命にある。

均一化して停止した系は、私にとって美しいと感じられるのだろうか。それとも、乱雑化が始まる前の最初期の段階にだけ、美しさを見出すことが出来るのだろうか。

若しくは、乱雑化の渦中の中、形成されては破壊されていく内の一時的な結晶の中に、美しさを見出すのだろうか。

美しさとは、それを感知する視点により捉え方が変わる。人であれば、その人ごとに、何を美しいと感じ、何を醜いと感じるかは千差万別だ。

―――つまり極論、全ての空間的・時間的位置は美しくもあり、醜くもある。

私にとって、それはどの時点、どの位置/条件下なのだろう。

少なくともつい最近まで、【今】ではなかった。

話は逸れるが、輪廻転生という考え方があるが、それを繰り返す先は、毎回同じ系を想定しているのだろうか。それとも別の系への転移を想定しているのだろうか。

同じ系内であれば、いつか輪廻転生にも終わりが来る。全てが均一になった世界に、転生する先などない。もしくは、全てが転生先となる。(別の系にも転移できるのであれば、いつまでも繰り返すことができるかもしれないが)

話を戻すと、自分がどう足掻いたところで、今の『自分』の位置/状態/条件が大きく変わることはない。

個人的な宗教的思想を、脳外へと普及させようとする欲もない。

―――であれば、私はこの系に何を望むのか。この系に存在する私か私以外か、その他のものに何を望んでいるのか。
―――何も望むことは、ない。

何かを望んだとして、この果てしない大河に一石を投じたとして―――だが、何も変わることなどない。

ただ、世の流れるままに、たゆたいながら、運ばれながら、何かを感じ、思考を続け、個人という小さな容器を介して、一瞬一瞬の世界の状態を享受し続けるだけだ。

私の好む系の状態が、最終的な均一化後であれば、ただ途方もない時間の経過を待つだけで、いつかはそれを得られるだろう。逆に秩序が保たれた状態であれば、その状態が存在していた頃に、想いを馳せよう。

もし、それが流動中の系の只中にあるのなら―――楽しみ方など、享受する方法などいくらでもあるだろう。
(もしも他の系に対する想いであれば、ただ夢想することしかできないが。)

そろそろ、話を閉じよう。

いつどの状態のどこに存在する系であれ、人の生き方には多大な影響を与える。人はただそれを受け入れるしかない。

事の始まりも終わりも、全てが最初から決まっていているのであれば、ただ移ろいゆく現状を楽しめばいい。『自分』が存在しているという奇跡を思うままに堪能すればいい。たとえ自らの周囲環境が、無為な物理現象の老廃物や副産物/夾雑物に塗れ、満たされていたとしても、その中で偶然、美しい結晶が生じる瞬間もあるだろう。

一個体がその生を終えるまでの短い間に、何を成したとしても、何を成さなかったとしても、結局のところ、終着点は変わらないのだから。 

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