自作小説

【第1部第2章33節】Crisis Chronicles

 ―――卵。

 卵、卵、卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵卵―――・・・・。

 周辺は一面の卵で埋め尽くされていた。

 地面や側壁、果てには天井に至るまで、無数の巨大な卵が密集して産み付けられ、その割れた外観から、既にその大半が孵化を終えていることが見て取れる。

 地面には厚手の割れた殻が無数に散らばり、白一面に覆われている。

 自然環境が一個の生物により汚染され尽くされたかのような、その圧倒的な光景を前に、喉元まで吐き気がこみ上げてくる。

 「クレイズっ!どこにいるの!?近くにいるなら返事して!」

 風化した殻が層状に堆積した不安定な足場を踏み抜きながら、ユリアはどこにいるとも分からない仲間へと呼びかける。

 本来であれば探知魔法をかけて相手の位置情報を探るところだが、魔晶石の発する妨害波長によりそれは叶(かな)わない。

 当然アーカイブスも現状はスタンドアロン状態で可動しており、本作戦中に更新されることはない。

 ―――どうやら、この広大な魔窟内で孤立状態となってしまったらしい。

 恐らくクレイズはこの部屋に入るなり、好奇心を大いに刺激され、自分のことなど忘れ、先々に洞窟の奥へと進んでいってしまったのだろう。

 若干の不安と苛立ちを感じながら、ユリアは体重を預けるには些か以上に心許ない足場を進んでゆく。

 それにしても、見れば見るほど凄まじい光景だった。

 卵一つの大きさは人一人ほどもあり、それが無秩序に大量に配置されているため、視界の大部分を遮られてしまっている。

 万が一、周到にもその陰の中に息を殺して潜んでいるモノがいれば、かなりの苦戦を強いられるだろう。

 対抗策は幾つか挙げられるが、不安定な足場と視界制限等の絶対的な不利(ハンデ)を打ち消すまでには至らない。

 さらに時折漂(ただよ)ってくる不快臭に眉をひそめる。数多の殻の中には、正常孵化が叶わず内部で腐ってしまったものもあるだろう。

 それは長大な年月の中で多種の小動物や昆虫、バクテリアなどに処理されたようだが、残留物が全くないとは言い切れない。

 今のところ殻の中にそのような残骸を見つけることはなかったが、己の中の無意識が、底意地の悪い凄惨なイメージを掻き立てる。

 五感から連なる感覚神経が、幾つもの不安要素から抽出した危険シグナルを大脳へと伝達し、次第にそれは運動神経をも蝕み始める。

 思考に纏わりつく暗然な情景を振り払いながら、ユリアはアーカイブス内に保存された情報を紐解き、現状分析を進めていく。

 記録によると、周辺の卵を産み落としたのは竜種―――その中でも、コンポジットドラゴンと称される種のようだ。

 大型の体格を持つが、主に地中に穴を掘って拠点とし、比較的温和な気性をもつとされる。

 雑食であり、主に地中に生息する小型の動物や植物の根を好んで糧とする。

 少なくとも周囲には未だ生き物の気配は感じられないため、嘗てこの地下世界で栄華を極めた竜種たちは絶えてしまったか、他の場所へ住処を移動させたのだろう。

 警戒を維持したまま、少女は一歩一歩、さらに虚ろな洞窟の奥へと向かっていく。

 それから相応の時間を要し、複数の中空を潜り抜けた。

 深度が増してゆくにつれ、不安を取り込みながら己の中で膨張を続けていく孤独感に押し潰されそうになる。

 歩く度に生じる折損(せっそん)音を除くと、いつの間にか、洞窟の中は驚くほどの静寂に包まれていた。

 その定常状態を乱しているのは、他でもない自身から生じる一挙手一投足。

 周辺には卵の殻とその内から立ち込める腐敗臭。

 放逐された生と死の要素が無数に混濁/濃縮しており、それはある種、異界に迷い込んだかのような錯覚を闖入者の脳裏へと植え付けてゆく。

 ―――生物的本能として、ひたすらに気持ちが悪い。

 背筋から這い上ってくる怖気(おぞけ)が、己の所作に纏わりつき、皮膚の表層から真皮へと浸潤し、そこに張った神経を直接的に撫で回しているかのようだ。

 立ち昇る生理的な嫌悪感に憑りつかれながらも、ユリアはようやく大空洞への入り口付近へと到達した。

 そこから中を覗き込もうとするが、一際巨大な卵が入り口付近に鎮座しており、さらに先へ進まないとその奥を垣間見ることは叶わない。

 最奥の大空洞まで辿り着ければクレイズと合流できると高を括っていたのだが、ただ失望感が増しただけだった。

 ユリアは大きく嘆息し、独り言で不満を発散しながら大空洞へと歩を進めた。

 「はぁ……クレイズのやつ、一体どこまで行っちゃったのよ……まさかこのさきまで―――んぐっ!?」

 巨大な卵の迂回して通り過ぎようとしたとき、突如背後から何者かの手が伸び、自身の口元を強引に塞ぐ。

 想定していなかった突然のことに、ユリアはその手を振りほどこうと、全力で藻掻きながら悲鳴を上げようとする。

 「し―――っ!ユリア、落ち着いて、私だってば!」

 数秒間は気が動転し取り乱していたが、視線を背後に回してその赤髪を認めると、ようやく叫び声を上げようとするのをやめて低い声で抗議した。

 「クレイズ!ちょっといったい何のまねよ!勝手にどんどん先に進んで、私がどれだけ心配したか―――と……へ……!?」

 ユリアの不満を受け止めながら、クレイズは人差し指で大空洞の中心部を指した。

 細くしなやかな指先を辿ると―――巨大な影が視界の奥に飛び込んできた。

 そのシルエットは、まさしく竜種の様相を呈していた。

 同時に呻くようなくぐもった寝息が、地を震わせながら此処まで浅く聞こえてくる。

 その体格たるや、体長30メートルほどだろうか。少し伸びをすれば、大空洞の高い天井を突き破りそうな巨躯を誇っている。

 明らかにアーカイブスに記録されていた基本情報とは異なる―――その外見は紛うことなくコンポジットドラゴンそのものだった。

 だが、体格の差異に加え、その体表面にも大きな特徴が表れている。

 目視では妙に角ばっていることが見て取れ、それは光沢のある艶を纏いながら周辺に昏い光を放出している。

 「あのコンポジットドラゴン……魔晶石でできてるわよ。」

 クレイズの言わんとすることは容易に理解できる。コンポジットドラゴンとはその名の通り「合成竜」を意味する。

 摂取したモノを、その性質を遺(のこ)しながら分解/解析して取り込み、自身の一部として同化させる。

 金属を取り込めば体表が金属質に、岩石を取り込めばより頑強に―――代謝に時間を要するが、如何様にも、自身の性質を変化させることが出来るとされている。

 その点を考慮すると、このゲヘナ晶原でコンポジットドラゴンが魔晶石を取り込み、あのような外殻を手にしたことは想像に難くない。

 「ラクリマの丘まで、距離的にもう少しね……起こさないように移動しましょう。」

 相棒の提案にユリアは頷き返す。この洞窟を抜けた先に、今回の作戦の要所がある。その前に体力と魔力を浪費するわけにはいかない。

 二人は音を立てないよう、ゆっくりと移動を開始した。

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