自作小説

【第1部第2章32節】Crisis Chronicles

『―――報告します。標的(ターゲット)を所定の洞窟内に誘導完了。作戦は順調です。』

 淡々とした状況報告。しかし、声の一切は発せられず、独自に敷設された思考伝達手段により、遠隔で意思疎通が為される。

 魔晶石から発せられる妨害波長の影響下にあるのは、魔力波や電波を介した通信手段のみ。

 スナッチャーに感染した生物達が口頭伝達ではなく、如何なる手段を用いて互いの思考を共有しているか―――それは最上位個体と少数の下位個体しか知り得ない。

 少なくとも現状言えることは、ゲヘナ晶原の環境と非常に相性がいいということ。

 相手方の連携を乱しつつ、自陣にはその影響が及ぶことはない。

 その効果範囲内においてスナッチャー達を敵に回すことは、幾重にもペナルティを負わされた状態で闘争を強いられることと同義。

 だがしかし、作戦の進行状況は順調にも関わらず、男の心の洞には達成感や喜びなどの一切は浮かんでこない。

 ただ最初から当たり前のように総て在ったかのように、当然の如く、感情の排された報告を続ける。

 『―――そう、では作戦は手筈通り第二段階へ移行。あわよくば、その鳥籠の中で、全てを終わらせなさい。』

 『―――御意。』

 報告を終えると、男は周囲を見渡した。

 一帯は先ほどの戦闘で大小様々なクレーターを穿たれた荒地と成り果てていた。

 サンダーバレットの集中砲火により、副次的に生成されたオゾンの残り香が未だ周辺に滞留している。

 稲妻状に裂かれた跡が幾重にも奔(はし)り、戦闘中、どれほど壮絶な状況だったのかが容易に見て取れる。

 男―――アルフレドの眼前には完全に崩壊した洞窟の入り口。

 幽閉した標的二名が万が一にも出てこないよう、念のためしばらく警戒していたが、どうやら杞憂に終わったようだ。

 このまま洞窟の奥へと進めば、想定通りの結果となるだろう。

 洞窟それ自体は、ゲヘナ晶原の地下に無数に空いた中空の一つに過ぎない。

 内部に残された痕跡を分析せずとも、嘗て広大な範囲にコンポジットドラゴンが繁栄していたことは容易に解る。

 この竜種の習性により、地面の下は虫食い状態の大小さまざまな空洞が形成されている。

 本来であれば、長年の風化により、既に巣穴自体が崩壊していても何ら不思議ではなかったが、晶化降水(レインフォール)によりその強度は異常なまでに高められ、現在までその伽藍を残すところとなっている。

 幾多の中空の中でも、特にこの一つを選んだ理由は、出入口がラクリマの丘の近傍まで繋がっていることにあった。

 その構造から見るに、恐らくラクリマの丘側から掘削を開始し、ここまで巣が延びたのだろう。

 そして2つ目の出入口を人為的に穿ち、爆薬等で完全に崩壊するように強度を調整し、外観からはそれが分からないようカモフラージュも施した。

 ―――結果は、想定通りとなった。

 もしも出入口が一つしか無ければ、閉じ込められた者は真っ先にこの穴を再度開通させることを考えるだろう。だがそれが2つなら、一方が崩壊したとしても、もう一方を目指すことが出来る。

 さらに開通している側は自身の最終目的地へと続いており、片や崩壊した側は敵勢力が未だ周辺を闊歩し犇(ひし)めいている状態。

 そのような状況の中で、どちらの道を選択するかは、火を見るよりも明らかだ。

 地下空間の地形データは既にアーカイブスに登録されていたため、差し迫った状況に置かれていなければ、出入口が本来一つしかなかったことに気付き、警戒されていた可能性もある。

 だが、そんな余地を与えないよう、この場に近付く前にかなり遠方から多種の生物群に標的を襲撃させた。

 一体ごとの戦闘力は些細なものだが、間断なく一定の戦力を逐次投入することで、戦場を目的地へと遷移させていき、その進行方向を制限することが出来る。

 そして洞窟に近付いたときに、既に配置していた射手達に襲撃させれば、洞窟内に逃げ延びる以外に選択肢はない。

 安息の地を求めて踏み入った魔窟からは、もう、引き返すことは出来ない。

 大口を開けて待っていた怪物の胃袋の只中へと、ただ闇雲に歩を進めるしかない。その顎(あぎと)に捉えられたと気付いた時には、既に取返しのつかないところまで状況が進んでいることだろう。

 幾重にも張り巡らされた罠をどこまで躱すことが出来るのか、アルフレドの心中に、ようやく若干の期待/興味という色が生じ始める。

 ―――これまで、男には何もなかった。

 スナッチャーに憑りつかれる以前も、今も、ただ空虚の中に生れ落ち、日々を消費していく現在。

 安定的に供給される安全と自由。万人が食べ易いようにと調理され、頼まれもしないのに提供される上質な皿に乗った幸福の品々。

 人として生きるには、男にとって、この世界は些か以上に窮屈だった。

 治安維持部隊に入隊したのは、そんな自身を押し込める不可視の殻を破ることが出来るかもしれないと思ったからだった。

 環境の変化が、自分にとって何らかの転機を齎(もたら)してくれると期待していた。

 だが、それも無駄だった。杞憂に終わった。零に何を掛けても零から変わることがないのと同様、平坦な毎日が続いた。

 魔学技術、科学技術、魔科学技術―――それらの技術は、人類に多くの恩恵を齎(もたら)し、生存能力を高め、危機から遠ざける。

 それが最終的に至る所は、永遠/無限の理想郷。

 死の恐怖から解放され、永く幸福を享受し、行動の自由を認められ、差別もなく、平等が行き渡り、個人の価値観が尊重された―――未来永劫まで延びる、白亜な世界。

 そんな人生が―――本当に幸福なのか。

 生を得た瞬間から、何もかも最初から用意され、達成すべきことは既に先駆者により達成され、必要なモノがあればいつでも無償の商品棚から無尽蔵に選び抜かれ手渡される。

 使命もなく、熱望もなく、それより先の発展もなく―――高尚に装飾された行き止まり。

 走り始めた瞬間から完走している競争に、一体、どれほどの熱意が生まれるのか。

 それは理想郷という皮を被った、反理想郷なのではないか。

 正を求めすぎたが故に、最終的に純粋な負へと帰結する。―――それを認める者はいない。

 盲目的に、ただその存在を正と信じて疑うことはない。そうでなければ、今まで正に向かってひたむきに走り続けた者たちの存在意義や努力や信念を否定することになる。

 偉人達の努力と研鑽の成果が負であると認めること―――自身にそんな負の思考の断片が生まれることさえ容認し難い。

 目を閉じて耳を塞いで、過去から走り続けたこの道を、ただ正しいのだと自分自身に言い聞かせる。走路を転じることなど認められない。―――だが、脳内に巣くい始めたその偏執病(パラノイア)こそが、すでに負の行為に他ならなかった。

 ―――気付けば、周囲に負が蔓延していた。

 正という高みを目指し続けた結果、周囲を見渡せば切り立った崖しかなく、安心して自重を預けられる肥沃の大地は、もはや手の届かぬ、遥か眼下の先にある。

 頂上に立つ人類はただ孤独に、何もない虚空の眺望に囲まれ、心中にはただ、絶望のみが拡がっていた。

 自分たちが古来より追い求めていたものは、こんなものだったのか。

 故人の夢見た頂へと到達するために、人類は長大な時間と労力を費やした。

 時には他の生物の発展を阻害し、その生を奪い自身の糧とし、さらに高みを目指すために蔑ろにし―――剰(あまつさ)え、故意に淘汰すらしてきた。

 その結果が―――この有り様なのだと。

 今まで積み上げてきたものが、大事にしてきたモノが、過去の栄華が、色調を失い、風化し、崩れ落ち、塵芥へと成り代わってゆく。

 その事実が白日の下に晒され、人々の共通認識へと昇華すれば、どれほどの絶望が蔓延するのだろう。

 だが、人の欲望に際限はない。本能に植え付けられた走光性の如く、幸福を信じてひたむきに進む、その歩みを止めることは出来ない。

 或いは素(もと)より、万物の進化発展は、等しく暗い終焉へと続いていたのかもしれない。

 生を終わらせるために、生を始めたのかもしれない。

 終わりがあるから始まりがあるのか、始まりがあるから終わりがあるのか。恐らく、その解を答えられる者は現代に於いて存在しない。

 だが、もし、何者かに終わりを取り上げられたら……?そして、最終地点へと至ってしまったら……?

 四方を塞がれた壁の中で、永遠に生きることを強制されることだろう。

 絶望から逃れる術(すべ)は―――自らの存在を、自分自身で断つしかない。

 自殺以外の死因を除かれた世界では、最期には自決を選ぶしか他界する術(すべ)がない。

 その人生の過程がどれほど幸福に満ちていようとも、どれほど嫌がろうとも―――その世界の住人は、その生の最後の瞬間を、自死という結末で終えなければならない。

 このリエニアという世界は、発展し過ぎた。そしてこれからも猛然と、凄まじい速さで最後の到達点へと突き進んでゆくことだろう。

 生まれたての赤子のように、青春を希求する若者のように―――自身がまだ、この先どうなるのかも見定められないまま―――。

 永遠に続くと思われた発展というレールの先は途切れ、奈落の底へと通じている。

 ―――アルフレドは、純粋な人間であった頃の記憶を思い返した。

 無味無臭の足跡。モノクロな今。未来が描かれた筈の白地図。

 そのどれもが、時間の経過とともに意味を喪くしてゆく。或いは初めから、意味など無かったかのように。己の発露すら虚空の中に霧散させてゆく。

 足元には砂漠の拡がった大地。息を吸い、吐き出すたびに体内の臓腑が砂埃で汚染される。

 ―――自身に残された価値観など、ただの一つ以外消え失せていた。

 圧倒的な上位個体への絶対順守―――傅(かしず)くべきは、己が女王ただ一人。

 ―――だが、茫漠たる砂漠に堕ちた一滴の雨粒のように、今、まさにもう一つの彩(いろ)が自身の中に差し始めていた。

 この人生の中で、これほどまでに闘争本能を刺激されたことはない。模擬的に他者と競い合うことはあったが、所詮それは敷かれたルールの上でしかなかった。

 そのような児戯に闘気など芽生える筈もなく、不完全燃焼というよりは、真綿で首を絞められているような窮屈さすら覚えていた。

 だが、自分の中にたった一つ残った、掛け替えのないチップ―――生/命。

 それを賭けた一戦が近付いてきていることを本能が察知し、底知れぬ高揚感が己の内から湧き出していた。

 アルフレドは静かに、右の拳を軽く握りこむ。

 恵まれた身体性能/魔法適正に加え、スナッチャーにより身体的制限の枷を外された今の状態を存分に奮うことができれば―――その結果如何に関わらず、まだ見ぬ「ナニカ」を得られるかもしれないと、捻じれた期待が芽生え始めていた。

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