自作小説

【第1部第2章13節】Crisis Chronicles

 今となっては既に遥か昔、嘗て多くの人々が共に馳せた夢の残滓の腕(かいな)に抱(いだ)かれ、導電性強化パネルにより円形に切り取られた肥沃の大地。その中心点にソレは悠然と腰を据えていた。

 嘗(かつ)ては一方的な大願を押し付けられたが、一転しそれが失敗の色を見せ始めると人々は頭(かぶり)を振り、興味の失せた瞳でこの場を早々に立ち去っていった。

 思い返すと、まだあの光景が瞼の裏へと蘇る。あれから幾星霜の時間が経過したなど、それこそがまるで夢のようだ。

 今となってはただ広大で空虚なその地は野生生物の温床と化しており、恰(あたか)も人類史の衰退を暗に示してるようだった。

 その建造物内の一室で、男は椅子に体重を預けながら正面の立体モニタに意識を集中させていた。

 「完成予測時にこちらの持ち得る戦力は――――――――」

 己の内心へと向けた言の葉を独り呟きながら、男は背後に忍び寄る影に気付いた様子は無い。どうやらここ数日、睡眠時間を削ってまで今後の計画修正を行っていたらしく、不健康な様相が見るまでもなく伝わってきた。

 その為、音も無く標的のすぐ近くまで辿り着くにはそう労力は伴わなかった。

 そうして無警戒な男の丁度首裏までそっと手を持ち上げ、抵抗させる間も無く、接近者は一気に行動を起こした。

 「――――――だ~れだ!」

 「――――――――――――むぐっ」

 いきなり心の準備も無く後方から何者かに抱き付かれ、今まで考えていた様々な事象が頭から吹き飛び、だが同時に久しく忘れていた安らかな感覚に、男は自重をそっと預けた。

 柔らかなその心地に、散々脳内を巡っていた憂い事は綺麗さっぱりと忘れ去られ、後には快い微かな香りが残存する。

 ――――――――――まったく、こいつは…………

 既に後頭部から回された細い指先により両目の視界は優しく閉じられ、適度に冷たく心地良い体温が彼女の掌から頬を通して伝わってくる。―――――つまりは、声調から自分が誰なのか推察してみせよ、との御達しらしい。

 こんな悪戯をする者は限られているため、候補者の中から既に犯人は絞られており、一際明るく透き通った声からその主の名を言い当てるのは容易かった。

 「まだこんな時間まで起きてたのか、クロ助(すけ)。いつも口を酸っぱくして12時には寝るようにと言っているだろう?」

 「せいかーい!……やっぱりバレちゃった?…………というか、早く寝なさいって言いたいのはこっちの方だよ!お父さん、昨日もその前も寝てないんでしょ?いくら私達だって心配になるよ!」

 目隠しが払われ、視界を取り戻したクラインは疑問符を浮かべながら入口を振り返った。

 「―――――ん?……私達、だと?」

 その声に釣られて控えめに部屋へと入ってきたのは、同じように黒色のコートを着た二人組だった。矢張り双方とも、少し困惑したような顔をこちらへと向けている。

 下方へ向けられたその眼は弱々しく、いつもは美しく靡(なび)く二人の青い長髪もこの時ばかりは活気を失っているようだった。

 余程心配させてしまったのだろうか?自分ではそうさせない為に気丈に振舞っていたつもりだったが、どうやら流石に長く一緒に生活しているだけあって隠し事はままならないなと思い至った。

 「はぁ……クローディアに続いてお前達もか?どうやら心配させてしまったみたいだな……分かった、降参だ。今日は俺ももう寝ることにするから……だから、お前達ももう寝なさい。」

 優しく諭すように言い放つと、男は先程まで悪戦苦闘していた三次元モニタを何の躊躇いもなく消去し、深々と腰を落ち着けていた黒色の座席から立ち上がった。

 そのままドアの前まで足を進めるが、しかし少女達は暗い表情のまま顔を上げることはない。

 「ん、どうしたんだ?、ルージュリス?、セクサリス?……これは参ったな…………もしかして、怖い夢でも見たのかい?」

 男が困ったような表情を作り後ろ髪を掻くと、不意に前後から軽い突進を食らった―――――と思いきや、どうやら抱き付かれたらしい。

 「……はぁ、一体どうしたんだ…………?いつの間にまた、甘えん坊の頃に逆戻りしたんだ?」

 寄り添う少女達の表情、伝わって来る体温から、言わんとしていることは大体想像ができる。それでも答えを此方から切り出さないのは、それを言うことで、もっとこの娘達が不安になってしまうのを防ぐ為でもあった。

 「ふぅ、弱ったな……よぉしよぉし、ほら、怖くないぞ。…………大丈夫だ、全部終わったら、みんなでまた昔みたいに暮らそう。それまでは、ただの一人だって欠けさせやしない。」

 今、男に出来る事は何も言わずに此方に差し出された頭頂部を優しく撫でてやることだけだった。

 「シャロンも……?」

 前面の右側の少女――――――ルージュリスが薄い桃色の唇を開き、消え入りそうな声で強張ったように弱々しく尋ねる。

 「あぁ、勿論だ。あいつを救う方法だって、父さんが必ず見つけてみせるさ。…………たとえこの先何年、何十年掛かったとしても――――――――約束する。」

 その言の葉を心の奥底に聴き届け、少女はゆっくりと、しかし確かな頷きを返す。昼にこれからの事を伝えてから、外見では推し量れない心の中で娘達はこれ程迄に動揺していたのかと、男は今更ながら痛感する。

 背中に頬を押し当てているクローディアも、心配無用というような活発な体裁を繕いながらも内心では不安に駆られていたに違いない。

 彼女は父の背に体重を半分ほど預け、何かを了解したように、安心したように吐息と共に穏やかな声調を呟いた。

 「分かったわ……それが貴方の目指す場所なら、安心して全てを預けられる。例え結果がどうなっても、私達はお父さんを信じたことを後悔したりしない。」

 その決心が微かな吐息と共に吐き出されると同時、セクサリスも顔を懐へ埋(うず)めたまま、ゆっくりと頷きを返した。

 自分の勝手な願望の為に、娘達に委(ゆだ)ねられた命は一つとして犠牲にすることは許されない。そう自分の心に決意の刃を立て、深く、深く、刻み込んだ。

 それから幾許も無く、三人の愛娘達は傍らの父親と共に少し長い廊下を歩いた後、一人一人おやすみなさいの挨拶を済ませて各自の部屋へと戻っていった。

 父を訪ねて監視室に行った時と同様、廊下に灯りと呼べる目印は殆ど皆無だったが、久し振りに家族が何人も足並みを揃えて歩いていたせいか、帰りは冷たい印象も恐怖も感じなかった。

 少女達の全員が、その安らかな時間に満足していたことは言うまでもなく、変えようのない事実だった。

 愛しい娘達が寝室へと返った後、男―――――クライン自身も自分の部屋へと帰っていった。娘達を起こしてしまわないように、足音に細心の注意を払いながら……。

 その胸の内には大願への確固たる決意と、娘達への純粋な果てし無く深い愛情と、此処に辿り着くまでに失ってきた全ての者達への追悼意が秘められていた。

 寝室の扉を締める前、クラインは心の中でそっと呟いた。

 ―――――――――だけど今はまだ、ゆっくりお休み……うちの可愛いお姫様達―――――――――…………

 父の想いは、今も安らかな寝息を立てている娘達の穏和な夢の中へと、粉雪のように優しく解(ほど)けていった…………

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