自作小説

【第1部第1章30節】Crisis Chronicles

 何処までも果てしなく連なる薄暗い廊下を、1つの人影が通り過ぎてゆく。

 コツン、コツンと響く硬質な靴音は目的の場所へと孤影を誘う。

 その人影―――――黒コートは「事」の成り行きを傍観するために自室に戻る最中だった。

 『ただの試験運用のつもりが、殊の外大きな獲物を釣り上げるとは……存外に僥倖でした』

 口元が歪(いびつ)に歪む。彼女にとってこれは思わぬ――――――願ってもない誤算だった。

 今回の試験は被験体サンプルと「ギルド」と呼ばれる都市の戦闘単位とを引き合わせ、両者の真価を見定めるものだった……だが数時間前、思わぬ来賓の参入で事態は大きく掻き乱された。

 この先結果がどう動くのか、当人の興味はそこに集約していた。

 先ほど身柄を拘束した少女の状態を確認するために仕方なく独房へ出向いていたが、それを終えた今、残る要件は唯一つとなっていた。

 現在、黒コートは顔を隠す為のフードを被っておらず、その長い白髪をサラサラと揺らし歩いていた。

 彼女は黙々と歩き続け、終に目的の一室の正面に辿り着き、扉の開閉センサーに指を翳(かざ)す――――――。

   「―――――フィオナ……お前、実験体を外へ逃したらしいな…………」

 伸ばしていた右手を引き、フィオナと呼ばれた黒コートは振り返らず、ただ、後方の影へと言葉を紡いだ。

 「…………シルヴィア」

 ――――――これは面倒臭い人に捕まってしまいました…………ここは穏便に済ませたいところですが…………。

 フィオナは後方から放たれている重々しい殺気を背中に受け、その身を翻すことが出来ないでいた。

 腕を組みながら壁にもたれ掛かる仲間からの重圧を前に、少女は口を噤む。

 「それを故意にやったかどうかはどちらでもいい。必要以上にオーカーと関わるなとも言わん。どちらにせよ、私には関係無い話だ。だが、それがもし父様の邪魔になるようなら――――解るな?」

 冷たい殺意を背後から受け、フィオナは僅かに萎縮する。

 「分かっています……それくらい。それに実験体の逃亡は単なる事故で、事後処理も今やっている最中です。」

 「そうか……それならばいい……私の忠告は、それだけだ。」

 シルヴィアは壁から背中を離し、暗い廊下を歩いて暗闇へと溶け込んでいった。

 ―――――――何とか誤魔化せましたか。これからはもう少し慎重に行動しないといけませんね……。

 扉のロックを解除し、フィオナはその部屋へと入った。

 生体反応を感知し、自動的に明かりは灯り、その内部を照らす。

 そこは研究室の一室のようだった。

 白い部屋の各所に小瓶が詰められた棚が配置されていた。そのガラス瓶の内部には多種多様の植物、化学薬品が保存されている。

 フィオナはそれらに一瞥もくれず、ただ壁一面に映された映像の前に腰を下ろした。

 そこには、外界のとある風景が明瞭に映し出されていた。

 クルス霊森――――――現在、彼女の放った実験体が巣食う蟲籠。

 彼女は実験体の胸部に取り付けられた朱い水晶型の装置によって状況を全て把握していた。

 無論、先ほど事故だと嘯(うそぶ)いたのは全て自身が故意に行った事だった。

 「―――――」が自分の事をどうオモ、オウト……思おうと関係ナイ。

 嫌、わレようとも、自分にはやらなければならないことが在った。

 最重要案件。自身の生命活動よりもまず第一に優先スべきコト。例え誰に罵倒されようトも、遂行し、ナければならない。

 生まれた時からそうだった。ある一部の感情を表に出そうとすれば、不快なノイズが頭の中を蹂躙し、それを止めようとする。

 ―――――――――本当に、「――――」の事を考えると何故こうも思考が掻き乱されるのでしょう……

 フィオナは頭を振り、雑念を全て振り払い、目の前の画面に集中した。

 「さぁ、そろそろ最終楽章を奏でましょうか……。」

 その美しい表層とは裏腹に、フィオナの口元には凶々しい笑みが張り付いていた。

-自作小説