人の平均寿命は80~90年———あなたは長いと感じますか?
毎年過ぎ去る1年間を、100さえ数えきれないのに―――
はじめに
こんにちは、クロンです!
最近は「人生100年時代」とよく言われますが、実際にはまだ平均寿命は80~90年程度です。(根拠:厚生労働省「令和2年度簡易生命表」)
この数字を見て、長いと感じるでしょうか?それとも、短いと感じるでしょうか?
―——いずれにせよ、今生きている人の多くが100年も生きられないという事実は変わりません。
今までの人生を振り返ってみて、これまで有意義に無駄を少なく生きてこらえましたか?
かくいう私も、無駄な時間をダラダラと過ごしてきた1人です。
少し長くなりますが、私個人の話をさせてください。
目次
・幸福が空いた生活
・月収と幸福の相関
・まとめ
幸福が空いた生活
私の小学校卒業までの人生は、色鮮やかだったように思います。
普段の何気ない生活の中でも、毎日何かしら新しい発見があり、それに触れるたび、知識や経験を得て楽しみを見出していました。
人としての生き方すらも十全に知らず、親から衣食住の恩恵を受けつつ、人間の社会生活を生きるために、遊びを通して常識について学んでゆく日々。
小学校では義務教育を受けながら、部活動や友達との関わりを通して、楽しみながらコミュニケーション能力を伸ばしていました。
今思い出しても、あの頃は目に入る全てが新鮮で、触れるものすべてが特別で、毎日が充実していたように思います。
しかし一転して、中学・高校では、慣れ過ぎた流動食のような学生生活を飲み下し、毎日似たような日々を消化していくのみでした。
学校生活は勉強と部活で埋まり、休日には友達と遊ぶことも少なくなり、家の中でゲームやネットサーフをして時間を潰していました。
なぜこんなにも人生はつまらないものになってしまったんだろう?と、ずっと考えていました。
人間の社会で生きるためのルールを学ぶ度に、自分の周囲に張り巡らされていた不可視の糸が見えていき、どこまでも続いていたように見えた空は、天井に描かれていた張りぼての中空だったのだと気付いたような、そんな感覚に苛まれていました。
明確な答えは出るはずもなく、とうとう大学進学も通い易いからという理由で実家の近場をなんとなく見繕い、やりたいことも見定められないまま入学しました。
そんな何の期待も渇望もないままの大学生活は、私にとって「仕方なく過ごす時間」でした。
もちろん友達と一緒に遊んで笑ったり、バイトや卒業研究に励んだりはしましたが、
「こんななんとなくな人生が、これからも続いていくんだろう。普通の人間である自分には、きっとそれが普通なんだ」
と、自分に言い聞かせながら過ごしていました。
大学卒業、就職、結婚……行事としては様々なことがありましたが、結局「本当に自分がやりたいこと」は分からずじまい。
空虚で安穏な日常に埋没してゆく日々の連続でした。
そんな人生を歩いていた私ですが、最近とある本と出会ったことで、人生の生き方が少し変わりました。※まだ劇的にとは言い難いですが、現在も少しずつ変化中だと感じています。
その本は「お金の減らし方(著:森博嗣)」です。
次項からは、お金と幸福についてです。
月収と幸福の相関
その本の中で衝撃を受けた考え方は「何のためにお金を稼ぐ(増やす)のか」です。
仕事を始めてから自分は、「お金はただ多ければいい。お金があれば自由な時間を得られる」「お金を多く稼ぐためにはどうすればいいか」をよく考えていて、仕事自体がしんどかったので、お金をたくさん稼いで投資をして、仕事を早期リタイヤしようとばかり考えていました。
つまり、自分の本当にやりたいことや、「何をすれば幸せを感じられる」ではなく、「したくないことから逃げること」を考えていました。
幸福に前向きではなく、不幸に後ろ向きな考え方……そんなことばかり考える人生が、幸福であるはずありません。
周囲の暗闇を怖がるよりも、道の向こうに見える光を追い求めるべきでした。
つまり何が言いたいのかというと、
多くの人が勘違いをしていますが、お金は幸福を手に入れるための手段であって、お金を稼ぐこと(増やすこと)自体が幸福なのではありません。
お金は幸福との交換チケットです。幸福をもたらす潜在能力はありますが、交換して初めて、幸福が得られるのです。
そして私のように、お金で交換できないものに幸せを感じる人もいます(後述します)。
最低限の生活を営む額さえ賄えれば事足りること。必要以上に持ち合わせていても、月収の上昇率に合わせて幸福値の相関係数が小さくなっていくこと(もちろん人によります)。
そのことを気づかせてくれたのが、先の本です。
本にはこのようなことが書かれていました。
「幸福になるために何かをしたい(なりたい)という目的が先にあって、それを叶えるためにお金をいくらまで稼ぐ必要性が生じてくる。」
そのことに気付かされてからは考え方を改め、何をしたら(どうなれば)自分は幸せになれるのかを探求しながら日々を過ごすようにしました。
数日後、大学の頃の自分の趣味をふと思い返したとき、自分の幸福の源について辿り着きました。
結論から先に言うと、「面白い物語を考えて、それを好きな文体で表現すること」でした。
そのころ自分は、狭い世界の中で生きているだけだったのに、世の中の全てが面白みのない灰色ばかりだと決めつけていました。
友達と遊んでいても、勉強をしても、学生生活を続けていても、あまり面白いことが見つからない。
「なぜ、こんなにも、私の生きる世界には面白いものがないんだろう?」
「アニメやゲーム、小説の中の世界は、あんなにも輝いていて楽しそうなのに」
「この世界が空想と同じようなものだったら、きっと私も素晴らしい人生を歩むことが出来るはずなのに……いつかそんな世界が降りてきてくれないかな……」
そんなことばかり考えていました。自分はいつもの日常から脱却する努力すらせずに……。
しかし、そんな生活の中でも、一つだけ実験的にやっていたことがありました。
それが物語を想像し、文章で表現することです。
俗に言う、創作小説です。
それについて思いを馳せたり、書き綴っている時間は、とても幸せで楽しかったです。
誰に見せるでもなく、喜ばせるためでもなく、完全に自分のためだけの、限界のない青天井の物語。
観客は1人しかおらず、自分のためにどこまでも広がっていってくれる世界。それを構成している好みの文章。
それをひとしきり書いていました。
でもそんな幸せな日々は、卒業研究や国家試験の勉強に忙殺される日々によって、徐々に忘れ去られていきました。
先の本に気付かされるまで、7年間ほど忘れていた、私の幸福の源。
時々思い出すことはありましたが、時間や思考力がかかる趣味のため、仕事の多忙を言い訳にして思い出さないふりをしていました。
今はあの本に人生の幸福源に気付かされ、本格的に趣味を再稼働させてからは、自分の人生に色味が戻ってきている気がします。
なんとなく強迫観念に駆られてお金を稼ぐよう意識することもなくなり、心の何処かにいつも余裕を持てるようになりました。
まとめ
つらつらと自分のことばかり書いてしまいましたが、みなさんにお伝えしたいことをまとめます。
- 今自分がほんとうにやりたいことを見つける。
- やりたいことに繋がる事柄だけを重視し、それ以外をできるだけ取り除く。
- やりたいことをするためにお金が必要であれば、その額を明確にして稼ぐ。
今あなたが過ごしている人生は、一年一年が一度きりです。何度生まれ変わったとしても、その一年をやり直すことはできません。
あなたの人生の主人公はあなた自身です。あなたが感じられるのはあなたの得た幸福だけです。
ぜひ人生の幸福度の総和が、大きくなるような行動を取るようにしましょう。
皆さんも、自分が本当にやりたいこと、幸せになれることが見つけられますように。。。
読了ありがとうございました。