「最後に少し、話をしようか」
地面に倒れ込む少女達を前に、悠然と佇む灰色の男は呟く。
まるで幾らでも余裕があるといった様子の出(い)で立ち。戦いの最中であるにも関わらず、外套に手を入れたまま、虚無にでももたれ掛かるように穏やかに重心を移動させる。
「貴様らの命をここで断ち、遺骸を傀儡として操ることもできる。だが、霊体が完全に断絶されれば、外部から継続的な補填が必要になる。面倒だが、生かさず殺さず――反骨精神さえ捨て、我々の一部となれ。本来、人としてそれは歓迎すべきだろう?」
「なに、いってんのよ……」
男の言葉に、クレイズは苛立ち混じりでようやく返す。
「根源的に、人は楽に向かう生き物だ。何も考えず、知る努力すら怠り、自身の手に余る規模の社会情勢や規範に当惑して呑まれ、ただその中に座り込んだまま、抗う意欲さえ削がれ、大きな流れに身を委ねる。それが愚かなことであると自覚していながら、歩き始めることも拒むこともせず、ただ無力感になけなしの尊厳さえ砕かれ、湧き上がる失意に麻酔をかけ、自己欺瞞に堕ちる。それどころか、何もしてくれないと、助けてくれないと嘆き、他人や周囲への期待を裏返し、意趣返しとして呪詛さえ呟き、怨念と狂気の刃を向ける。これが性悪説に準ずる人の本質というものだろう」
偏執染(じ)みた言論を聞き、完全には否定できないでいると、さらに男は言葉を続ける。
「治安維持局がこの事態の解決に寄越したのが年端もいかない貴様ら二人であることも、それを証明していると言える。敵の居場所が判明し、速やかに片付けたいのなら、ニルヴァーナを空から打てば済む話だ。無論、我々にも対抗策はあるが――貴様らは捨て駒にされたという自覚はあるのか?家族と言えども、自分以外の他人を助け出すために、なぜそこまで命を危険に晒せる?」
矢張り――と。その言葉を聞いた瞬間、二人は記憶を読まれたことを悟った。この依頼を受けた際、作戦内容の漏洩には細心の注意を払うよう言われていた。
だが現実として、全てではないにせよ、幾らかの秘匿情報は知られているだろう。男の余裕ぶった態度からそれは明らかだ。恐らく、先ほど打撃を受けた瞬間に行ったのだろう。
この世界では本来起こるべくもないが、高い知性を持った生物同士の闘争。稀に生じる無能力者によるテロリズムの際に使われる程度の、記憶搾取の魔法。
敵の思考や戦略を識ること。その情報は戦況を一変し、自陣を勝利へと導く重要な要素となる。
とりわけ現代のリエニアでは、野生生物との回避し得ない争いが殆どを占めるため、その規格外な有用性を忘れ去られた遺物。
存在そのものは白日の下に晒されている――が、4Sシステムに矯正を受けた道徳心を以ては、好んで使う者も皆無といっていい。
先の質問の回答を、慎重に自身の語彙から選び取り、言葉として紡ぎ合わせた。
「そんなの当たり前でしょ……『家族』が泣いてたら、困ってたら、絶対に助ける。特に自分より年下なら、尚更のことでしょ」
「解(げ)せんな。その『家族』という矮小な共同体を守るために、自身の命さえ投げ出す理由が理解できない。どれほど他人に手を差し伸べようと、死んでは意味がないだろう。それは一個の生物として、命の優先順位が破綻しているとしか思えない」
「それは違う!」
男の言葉に、ユリアが鋭い瞳を以て噛み付いた。
「自分の命より大切なことだってある!『家族』や『仲間』や、他にも大切な人達、それにこれから生まれてくる筈の命さえも――それを想えば、自分の命さえ二の次にすることだってある。私も――……」
ユリアを冷たく見つめ、男――アルフレドは興味を失ったかのように呟いた。
「そうか……そういったものは我々には無い。ただ外部因子を際限なく取り込み、自身の一部として均一化(イコライズ)し、種の拡大を繰り返すのみ。それしか生き方を見出せない。増殖や拡大以外の本能は素から欠如している。だが参考になった。今、お前たちを拘束している砂からも記憶の抽出は恙なく行われている。このまま人間たちを取り込み続ければ、いつか理解るときが来るかもしれんな。もし、全ての生物を取り込んだ後で、『家族』や『仲間』と呼べる存在が、残っていればの話だが……」
アルフレドの口元は禍々しく歪んでいた。愉しみは終わったとでもいうように、狩人の眼が近傍の人間を捉える。
「さて、それでは自死を選ばないうちに、お前達を『我々』にするとしよう。このコンポジットドラゴンも最初は抵抗していたが、この通り、今では総てを受け入れている。安心しろ……お前達も、いずれそうなる」
男が一歩一歩踏みしめながら、ゆっくりと近付いてくる。
ユリアの眼差しは真直ぐにアルフレドと交錯し、限界まで近付いてくるのを待った。
既に少女達は魔力の通った黒色の砂に全身を雁字搦めに拘束され、さらに記憶を奪われ続けている。だが、想定通り、ディーヴァを植え付ける際は対象に直接接触しなければならないらしい。
そして、リーダー格と思われるこの男が直接「移植」を行うことで得られる、何らかの「利点」があることを悟った。少なくとも、この状況に於いては。
未だそれが何なのか分からないが、ユリアはアルフレドの指先が額に触れる瞬間、クレイズへと視線を動かし、相手からの同意を確認した。
二人の眼光が交差する――最早、他に選択肢などなかった。
身動きさえ取れない状況の中で、一つでも選択肢を取り違えれば、先に繋がる全ての知略すら瓦解しかねない。
託された「コレ」を無為に奪われるとは、そういうことだ。さらに未使用での鹵獲とあっては、即座に解析/無効化の道を辿ることは必然。
例え急造の試作品であったとしても、敵の手中に堕ちれば、そこから作戦の意図を読み取られる。――それならば、と。
確固とした決意を抱き、もう、迷いはなかった。
銀髪の少女は後ろ手に収まった、金属質の球体を握りこむ。
Humpty・Dumpty(ハンプティ・ダンプティ)――この作戦の要と呼べる、広域魔力波長爆弾。
本来であれば、こんな閉塞的な場所で使う筈ではなかった。
洞窟内の微細な魔水晶(ラクリマ)を内包した厚い岩壁は、その効果をどこまでも減弱させてしまうだろう。ラクリマの丘が比較的近い距離まで迫っていたが、到底、その効果は想定の一割にも遠く及ぶことはない。
それでも、やらなくてはならない――今、ここで。
幾つもの葛藤に苛まれながらも、少女の中でやるべきことは既に決していた。
目の前で此方に手を伸ばす、男の硬質な腕が恨めしい。自身との圧倒的な実力差をまざまざと見せつけられ、悔しさに打ちのめされそうになる。
だが、湧き上がる感情に身を委ねるよりもまず、やるべきことがある。
近付いてくる悪意を前に、奥歯を噛んで、強い眼光を前面に向けた。
――そして、アルフレドの指が触れる寸前、眩い閃光と空気が軋むような高音がユリアを爆心地として、洞窟内にうねりを上げて拡散した。
「う、うあぁぁぁぁああああっ!」
無秩序に撒き散らされる光芒に飲み込まれ、男が頭を押さえながら喘ぐように叫び、足裏の黒砂へと飛び込むようにして逃げ去る。同時にコンポジットドラゴンも苦しむ様に高らかな咆哮を上げ、気を失ったようにゆっくりと体部を傾け、洞窟内の地面へと倒れ込んだ。
その大きな衝撃に振り落とされそうになりながら、土煙の中、少女達がなんとか耐えた時には、蠍達や自身を拘束していた黒砂は消え失せていた。
閃光と音波を放っていたのは十秒ほどだったろうか、辺りには最初から何事も無かったかのような、薄暗い静寂が戻ってきている。
「なんとか……助かった、けど……使っちゃった。これから、どうしよう……私達、もう……」
気を失った巨竜を横目に、ユリアは苦虫を噛み潰したような表情を呈した。
クレイズはユリアの肩を叩き、先を勧める。
「うん……そうね。でも、さっきはあぁするしか他に方法がなかった。これからのことは、これから考えましょ。今は、生き残ったことに、ただ、感謝しなきゃ……」
少女達は歩みを進め、互いの躰を気遣うように、洞窟の奥へとゆっくり進んでいった。