過不足無く用意された無機質な黒椅子が広い暗室内に等間隔で配置されている。
その座に身を落ち着けている者は一人の例外もなく黒色の様相を成しており、各々が不遜な態度で情報伝達の進行を見送っていた。
会議は開始時点から恙(つつが)無く進み、現在は今後の行動方針を定めている最中だ。
主に口頭伝達の任を請け負っているのは一人の男性のみで、他の者は一貫してその事項を聞き入れている状態が継続している。
男の眼前に映し出された三次元モニタは静かに映像を展開しながら、視覚情報を周囲の黒コート達に鮮明に訴え掛けていた。
「――――――――という訳で、俺が目標としているのはこの三点。確実に完遂してくれ。次に―――――」
この会議で得られる情報は無機質なモノばかりで、大して面白味もなく、決して外面に出すことはないが白髪の少女は内心辟易していた。
自らに施した変装魔法は完璧だ。使用者に対象の外見的特徴に加えて思考パターンすらも投影する事が出来る。
おそらくこの場にいる誰もが自分のことを昨日葬り去った個体だと判断して疑わないだろう。こうして重要情報が自分に筒抜けになっている時点で、それはもう明らかだと言える。
後は自分の前で隙を曝け出している全ての排除対象を闇夜に紛れて各個撃破していけば、一月以内には与えられた命令を全う出来るだろう。
最早約束されたも同然の勝利に、No.666(オーメン)は内心ほくそ笑んだ。しかし、今回の任務に対しても何処か落胆の色を拭い去ることは出来ない。
ここ半年ほど、ずっとこの調子が続いている。これまで散々、常人ならば到底遂行できない依頼を与えられ、同時にその全てに於いて存分に期待に応えてはきた。
これほどの境地に辿り着いたなら、それ相応の満足感を得られるだろうと当然のように思っていた。だが、実際には違っていた。「あの人」の期待に答えても、全くと言ってよいほど、満足感は己の内から湧き上がっては来なかった。
上から与えられた命令を熟すだけのただ淡々と繰り返される毎日に、飽きが来ているのかもしれない。そうして集中力を切らし、今度は誰かに自分が殺された時こそ、この見えない何かに拘束され続ける日々も終わりを告げることだろう。
まぁ当然、自分からこの舞台を降りようなど、到底思うことはないだろうが……
オーメンは様々な方面へと思考の触手を伸ばしながらも、現実で行われている会議の情報を一言足りとも聴き逃すことはなかった。
丁度今、話し手が他の黒コートへと変遷したところだった。そいつは周囲の同様な外装の仲間をじっとりと一瞥し、一呼吸置いた後に静かに口を開いた。
―――――――…………。
直前に自分の方を一瞬睨んでいたような気もするが、別段気にすることもないだろう。
偽装している個体の記憶を探り当てた折に、このフィオナと呼ばれる少女は他の個体から少なからず嫌厭されているという事は重々承知していた。
眼前の黒コートは以前に行った『実験』のことを咎めたに違いない。自分が現在、『フィオナ』の皮を被って生活している以上、またこれからも同様のことを繰り返さねばならないと思うと少々面倒では在るが、まぁ仕方がない。
継続されてゆく口頭伝達を尻目に、No.666(オーメン)はこれが音声に依る意思疎通で在ることに自分の運の良さを噛み締めていた。
何故なら、一人のダークスーツの男を除き、この場にいる全員は言葉を介すること無く意思疎通を行うことが出来るからだ。
通常ならば自分がその機能で話しかけられた場合、何らかの適切なリアクションを採らねばならないが、乗り移った個体が他の個体に疎まれ、あまつさえ基本的に他者を無視する傾向に在った為、その点に於いては何の問題もなかった。
ただ自分は何も聞こえない振りを通すことで、無視という行為を平然とやって退けることが出来るからだ。
それよりも今、或る点にNo.666(オーメン)の疑念の矛先は向いていた。
この個体に挿(す)げ替われば、この場所やこの場の個体達の秘匿情報が詳細に得られると確信していたのだが、なかなかどうして思い通りにいかなかった。
初めから『フィオナ』の所持していた情報が少なかったのか?――――――いや、それは無いだろう。当事者である限り、少なからず重要な情報は得ていたはずだ。
だが、いざ彼女の記憶を漁ってみると、性格などの思考理念や最近の記憶、日常の行動パターンに加えてこの場の地理的情報などしか入手できなかった。
疑問は深く思考するほどにその深淵さを増し、幾度も同じ順路を辿り、果てには答に行き着くことは叶わなかった。
―――――――まぁ、いいだろう。何もかもが上手く行き過ぎていた此れまでの依頼が簡単過ぎたのだ。時には今回のような微量の不祥事が付き纏う任務も悪くはない。
「フィオナ……どうだ、監視対象の様子は?」
一頻(ひとしき)り報告が終わり、次いで男が何の前振りもなく自分に問い掛けた。その淡々とした口調は一見何の感情も孕んでいない様に見えるが、穏やかな空気がそこに内包されているようにも感じられる。
ダークスーツの男は真っ直ぐ自分の両眼を見据え、瞼(まぶた)に宿る力を抜き口元を少し緩めた。まるで、何かしらの罰を許そうとでもするかのように……。
その仕草に苛立ちが募り、フィオナの意を纏い出来るだけ冷淡に返答しようと務め、結果としてどこか見下したように言い放った。
「別に、何も変わりありません。昨日自分でも見に行っていたじゃないですか?」
そうして、そんな自分の態度など意に介する事は無いとでも言うように男は再び穏やかな口調で応答した。
「…………あぁ、そうだな。」
―――――――この男、嫌いだ。
近しい人間に優しさや情けをかける者。そんな人間は決して長くは生きられない。いずれはその範疇に敵も含めるように成り、敵はそれに付け込み隙を突き、無残な敗北を喫するのだ。
そして今、その弱点は惜しげも無く自分の眼前に晒け出されている。いずれはそれを利用させて貰う機会も訪れることだろう。
冷たく返答された男は苦笑しつつ、次の瞬間には何事も無かったかのように他の者へと話しかけていった。同時に誰にも悟られぬよう、無意識にボソリと小言を呟いた。
『…………貴方のそういうところが、嫌いなんですよ。』
それからすぐにこの会議は終わりを告げた。立ち去ってゆく黒装束を尻目に自分も自室へと戻ろうと―――――不意に、肩を掴まれた。
一瞬の出来事に、内心の同様が浮き彫りになるが、すぐにフィオナの思考パターンに切り替え、目の前の相手を見据える。
「……何ですか、シルヴィア…………?」
彼女の瞳には情け容赦のない冷たい威圧感が渦巻き、フィオナの外形を成した敵を睨め付けている。しかしそれに全く怖じる気概を見せず、あくまで冷静で挑発的な応対を試みる。
「貴様……いつまで父様を嫌っているつもりだ?」
「別に嫌っているつもりはないです。が、あの人の言動の節々に隠れた感情は容認しづらいことも確かです。……どうして、あの人は私達にあのように接するのでしょうか」
「それが父様の甘いところだ。……だが、同時に美点でも在る。それをお前は…………」
「少し黙って下さい、シルヴィア。貴女はあの人に―――――」
その時、割って入ったように少し距離を隔てた場所から糾弾の声が向けられた。
「―――――おい、お前達、もう少し――――――」
「―――――父さんは黙っていて下さいッ!……ではシルヴィア、もうこの話は終わりでいいですね?」
言い終わらない内に、自分は歩調を速めて長い廊下の闇へと自らの身体を溶かしていった。
この外見では些か以上に他者とのコミュニケーションに労を必要とするが……誰一人としてその中身に気付いていないことだけでも行幸だ。
このままゆっくりと、確実にひとりずつ消していけばいい…………。
純白な長い麗髪を揺らしながら、その美貌を幾らかも減じること無く少女はその口元を禍々しく歪めた――――――ソレに気付いた者は、誰一人として存在しなかった。