暗澹たる洞窟内に蠢く一際大きな体躯。その後背部に取り付きながら縦横無尽に駆ける二人の少女。
たった数分前は敵と戦うどころか、接触を最低限に往(い)なそうと考えていたのに――どういうわけか、局面は混沌の最中にある。
刻一刻と近付きつつあるタイムリミットを前に、内心は焦燥感に駆られ、更に目前の生存競争からも脱することは叶わない。
複数思考が人の心に阿(おもね)りをかけ、脳の処理能力をマルチタスクが分散してゆく。
そのような焦りが第六感を鈍らせ、戦闘力の低下が、じりじりと決着の延長を助長していた。
「――く、このままじゃジリ貧じゃない……」
カタパルトに打ち出されたかのように急加速した蠍が突撃し、左右の鋏で高速のラッシュを撃ち放つ。
先端の尖った尾部による刺突を絡ませながら、手数で圧倒しようと畳みかける。
クレイズ達も立体的な動きで辛うじて避けているが、間断なく他の蠍達も戦闘に参加してくる始末だ。
時間経過とともに、無数に増え続ける手足と毒針。
脳の演算処理の一部分をアーカイヴスに任せているとはいえ、その情報量は加速度的に積み上がってゆく。
致命傷は辛うじて避けるが、軽微な擦り傷には目を瞑(つむ)るしかなかった。
しかし相対するクレイズも、決して防戦一方ではない。放たれる尾節の一撃を避け、関節部に狙いを定めて振動剣を突き立てる。そのまま持ち手を逆手に持ち、刃面を捻り、蠍の尾を半ばから切断するに至った。
『やっぱり、痛覚すらも無いわけね。生物として致命的な一撃を受けても、怯む隙すら見せないか……』
この蠍達は、恐らく術者からの命令を受信する部分を破壊しなければ、例え半身を分断されようと動き続けるだろう。
周囲に蔓延る数は既に二十体近くまで増えている。それに人間二人を加えた数が、竜の首裏という狭い範囲に接着している状態だ。
流石に竜自身が違和感を覚えるのも無理はない。争いに同調するように藻掻き始め、小戦場の景色がゆっくりと斜めに傾(かし)いでゆく。
巨竜はどうにかして首裏の敵を払い除けようと、尻尾や両腕を振り払い始める。目まぐるしく変転する足場の揺らぎに関わらず、多対二の攻防は尚も続いてゆく。
『これじゃ、キリがないわね……』
ユリアは蠍三体に追われながら竜の側背部を高速で移動していた。
繰り出される一挙手一投足を躱しながら、バックステップで空中へと跳び、そのまま標準を合わせて蠍の頭部を打ち据える。
足裏の重力魔法による引力と斥力を器用に切り替えながら、逃げ回りつつ好機を狙う。
幸いなことに、蠍自体の装甲は見た目ほど硬くないことが判明した。
ある程度魔力を固めた魔弾で装甲の節さえ狙えば、頭部を吹き飛ばすことは難しくなかった。
ユリアの魔法と相性が悪いのはあくまで高い魔法防御性能であり、物理防御に対しては魔弾の性質を変化させることで幾らでも対処できる。
どうやらこの蠍達は魔力で編まれてはいるが、発生後は自動人形(オートマタ)のように普遍的な物体として機能するようだ。
さらに言うと完全な魔力の塊ではなく、粒子のような細かい物質を魔力により引き寄せ合って外形を保っていると思われる。
向かってきた一撃を空中で反転し避け、大きく距離をとり、頭部を破壊した蠍を注視する。
『あれは……』
何か黒い泥のようなものが、首元周辺から損傷した頭部に集中してゆく。そして数秒ほどで修復は終わる。
だが、頭部を修復した体積の分量だけ、体部の一部が先細りしていた。そして間もなく、不足分の黒泥は足元から補給され、蠍の体積は完全に元の大きさを取り戻す。
あの黒い泥の正体は――砂、か。
「クレイズッ!」
ユリアはクレイズの近場まで戻ってきており、魔力で編んだ糸を伸ばした。接続された二人の思考回路が、瞬時に情報共有を行う。
『奴らの構成材質は砂よ。魔晶石の屑とか比較的硬質な素材は体表面に集めて作ってるみたいだけど、体内は海砂を集めたように柔らかい。それで柔軟な姿勢制御を可能にしてるみたい。質量としてはそこそこだけど、頑強すぎることもない。私の魔弾で十分対応できる。でも、命令を受信してる部分が分からない。少なくとも頭を吹き飛ばしても動き続けたから、それ以外の場所ね』
『ありがと!私も見た目に反して内側が柔らかいと思い始めてたとこ。それにしても砂、か……。それに此処はラクリマの丘も近い。洞窟内は厚い魔晶石の岩盤で覆われてる。遠距離からの魔力波長は妨害される筈。さらに高速再生に太い魔力供給ラインが必要だとすると、かなり近くに術者がいても不思議じゃない。もっと言うと、直接触れて魔力を注ぎ続けてるくらいじゃないと、本来成り立たないくらいよ』
ユリアは相棒の意見を基に再考する。
超速再生による砂泥と魔力の補充、一体一体の正確無比な挙動。表面に集積された魔晶石の砂粒。
――ハっと、その解に至る。ユリアがその情報をクレイズに共有すると同時、重力魔法を展開する。
対象となるのは蠍の四肢と竜の体表。互いに斥力を生むよう、反重力を作用させる。
その効果は暴れまわる竜自身の挙動も相まって、完全な浮遊状態を生み出した。
「チャンスッ!」
二人の眼が合い、互いの意思を確認するかのように頷き合った。
もはや言葉すら不要だった。
あとは自然と体が動く。最高効率、最低限の関節部の動きだけで、颯爽と地を踏みしめ、標的へと駆け抜ける。
思考過程としては、まず最終到達点を見極め、そこに至るための具体的な手順を設定する。
現状分析を行い、結果へと辿り着くために何が足りないのか、どのような行動/行程が必要であるかを比較検討・取捨選択を繰り返す。
それらを並べていった時、最終的に自身の望む未来へと地続きになっていれば、それは成功する確率が跳ね上がる。
あとは実際に行動し、走り続けながら軽微な軌道修正を加えていけばいい。
クレイズはそうした思考手段に恐ろしく長けていた。
未来想定、現状分析、動作出力――無数に分岐する近場の未来から、自身の望む先を掴み続ける。
並大抵の者達が無意識で行っている今この一秒を生きることに対して、恐ろしく冷静に選択と集中を実行する。
それはある種、未来への転位とすら表現し得る。
一秒先すらも無数に分岐した未来。一瞬一瞬をさらに細かく裁断し、次の一瞬であればほぼ確実に臨んだ未来へと到達できる。
それを延々と続けていけば恐らく、想定する大きな結果さえも成し遂げることが可能だろう。
だが、一介の生物にそれを強いることは拷問にも等しい。
まるで自律神経の微細な動きすらもコントロール下に置こうとするような、無理難題。
手の届かない部分がある、外的因子による影響が入る、そもそも情報量が多すぎる。
もしそれが出来るとすれば、脳の構造自体が人のそれとは大きく異なる可能性すら疑われた。
だがクレイズは完全とはいかないまでも、ある一定の精度を担保し、寸前の未来からその先の未来へと渡り歩いている感覚を持っていた。
まるで河川に敷設された飛び石を渡っていくような、連続的な選択と行動。
そしてそれは今回も遺憾なく発揮され、宙に浮いた蠍四体のうち、二体は半ばから切断され、残りの二体にはユリアから魔弾の雨が降りかかる。
宙に浮いた残骸を注視する。矢張り予想通り、接地面がなければ泥と魔力の供給路が断たれ、再生は叶わない。
「――」
ユリアとクレイズが視線だけで合図する。
それが契機となり、周囲に跋扈する蠍達が次々に竜の表面から浮き上がり、宙吊りとなった。
蠍達はそのまま藻掻くように手足を振り回していたが、二人の狩人の前では無防備に他ならなかった。
その勢いのまま、正面の一体を袈裟斬りにし、ユリアと同調しながら確実に各個撃破してゆく。
だが如何せん、敵数の多さにより、安全マージンは確保しつつも、乱戦状態へと持ち込まれる。
迫りくる腕と尾部の刺突をかい潜りながら、浮かべた個体を無力化し、ユリアはその残骸を浮遊させ続ける。
目まぐるしく脳内が揺らぐ。次の一手に何をすべきかは明白だ――が、認識外からの突然の言葉に、対応が僅かに遅れる。
「気付いたか?――では、これならどうだ?」
どこからともなく男の声が響くと同時――直下の影が膨れ上がり、間欠泉のように黒い煙が噴出する。
轟々と砂嵐のような雑音が周辺一帯を取り巻き、空間ごと闇の腹中へ飲み込まれたようだった。
それは竜の首元周辺に煙幕を張ったかのように、二人の可視領域を著しく狭窄させた。
砂煙の中、変転する環境を前にクレイズとユリアは懸命に奮闘する。
まるで狙ったかのように、その中に溶け込み、水を得た魚の様に縦横無尽に蠢く蠍達。黒いフォルムは黒煙に紛れ、その動きを捉えることは決して容易ではない。統制された動きに一切の迷いはなく、正確無比に命の急所を狙ってくる。
五感のうち一部を奪われることが、これほどまで明確に勝敗を分けるのかと、ある種無力感にも似た絶望が二人の脳裏に立ち込め始める。
「ユリア!魔法でこの砂を――」
「――分かっ――……」
無数の微小な蠅(はえ)に取り囲まれたように、砂嵐のノイズが聴覚さえも奪ってゆく。
闇の中から突き出される針と鋏を間一髪で掻い潜りながら、ユリアはなんとか魔法の構成を練ると、発動条件を満たした――瞬間、ピタリと、自身の肩に何か冷たいモノが触れていることに気付いた。
重さは無い。だが、眼球だけで肩を見ると――それは、人の手であった。
『――っ!?いつの間に……』
視線の先は、無言で傍らに立つ――1人の男へと向かった。
ユリアは目を見開くと同時、男に向けて銃口を向けようとする。だが、背部にハンマーで殴られたような衝撃を受け、数メートルも吹き飛ばされる。
「ぐあっ!」
認識外からの衝撃に、肺腑に貯めていた酸素が全て吐き出される。それは誰の耳にも届かぬ鈍い悲鳴と成り、洞窟内の虚へと溶けていった。
既(すんで)のところで、発動条件を満たした重力魔法が周辺の砂煙を霧散させ、視界に魔晶石の薄明かりが戻る。
幸か不幸か、すぐ間近にクレイズの存在を感じる。彼女が自身を見つけ、何かを叫ぼうとしていた。
「クレイズ……に……げ……」
寸前の衝撃により息ができず、ユリアはうまく言葉を発することが出来ない。それよりも先に、人影が急加速を始めた。
闇の中にいた状態から、クレイズは蠍四体を相手取り、なんとか致命傷を避けて立ち回っていた。
振るわれる鋏を半歩の横移動で避け、迫りくる二本の尾部を今度は蠍の懐へと入ることで捌き切る。そこから反撃に転じ、正面の蠍の外殻の隙間に剣を刺し、一体を無力化する。
だが肩で息をしていることは一目瞭然であり、その隙を見逃すほど、敵影は甘くはなかった。
突き出される三本の鋏を上空へ跳んで回避したクレイズの背後に、高速の影が迫り、そこから長い脚が伸びて空中から叩き落した。
衝突音が鳴り、人体と高質な竜の鱗がかち合った衝撃で、指先さえ動かすことはままならない。
「ユリ……ア……」
口元から赤い血を垂れ流しながら、紅髪の少女は相棒の名を呼ぶ。――あなただけでも、すぐに逃げて、と。
だがその姿を見てユリアも自身に巣くうダメージから、立ち上がることさえ出来ないでいた。
既に蠍達は沈黙のまま、その場に鎮座し、主から下される新たな命令を待っていた。
「赤い方は戦闘初心者。白い方はその点申し分ないが、耐久性に難あり……か。貴様たち、よくもまぁ、ここまで生き残れたものだな」
男の声は薄暗闇の中、荘厳に響くバリトン。
二人の少女に語り掛けるように、ゆっくりと話を続ける。
「ムピロスクを往(い)なしたまでは、よくやったと褒めてやりたいところだが、正直期待外れだ。持ち前のセンスだけに頼っただけの戦いなら、子供の喧嘩と変わらない。……だからせめて、我々が代わりにソレを有効活用してやろう」
口角を上げ、長身の男の表情がようやく見えるようになる。色白で切れ目。そこには冷淡な瞳が位置していた。