自作小説

【第1部第2章37節】Crisis Chronicles

 『なんで!こんなとこ!走ってんのよ!私達は!人生でもう!二度と!やんないから!絶対!』

 上下左右、順転反転、凄まじい膂力(りょりょく)に振り回されながらその走路を駆ける。

 捻じれ狂う外殻は中空へと無軌道な弧を描き、空気抵抗さえ縦横無尽に切り刻んでゆく。

 靴裏に張る鉱石は畏怖を纏い、接触する全てを振りほどこうと藻掻いているようだった。

 『うっ……確かに、これは、いくら魔法の恩恵があっても、すぐに酔いそう……』

 二人が走っているのは竜の尾だった。それも比較的先端に近い部分。

 昏い魔力光を伴った狭い路が予測不可能な角度でうねる度、急な傾斜と速度により全身を乱雑に弄ばれる。

 変転する視界と体表面へのし掛かる異常な遠心力と膂力を前に、もはや自重を預けているとすら表現し難い。

 辛うじて足裏で引っ掛かっていると表現した方が、現実を幾らか正確に表現していた。

 先の一撃が見舞われた際、交錯する瞬間に重力魔法によりその表面へ取り付くことに成功した。

 超高速で振り抜かれた獲物を前に、臆せずして寸前で回避し、次いでそれに立ち向かう闘志がなければ到底至ることはない体技の極致。

 一歩間違えれば、両断される覚悟はあった。

 だが、それでもなお進み続けるという勇気が自身の背を押した。

 やり遂げた今になっても、あの交錯する瞬間にどう動いたのか細かくは覚えてない。

 ごく短時間の集中状態。周囲の時間がスローモーションになる感覚。

 その最中では、有象無象の雑念や無駄な機能が削ぎ落され、ただ一つの目的にのみ体が動いた。

 己を信じ、克己心を纏い、自らを奮い立たせ、この一挙手一投足こそが未来を切り開いてゆくのだと自分に言い聞かせる。

 あとは、半自動的に筋肉が収縮/弛緩し、回避から接着へと繋がった。

 クレイズは現時点に思考を戻し、尾の先から脊柱を目掛けて疾走する。

 蠢く足元は覚束ないが、足裏に張った仲間への信頼感が彼女の信念を後押ししていた。

 追従するユリアも先行する紅い影を追い、洞穴の中に黒い基線を広げてゆく。

 『でもこうなったら、行けるとこまで行くしかないわね。首元の魔晶石が薄い部分じゃないと、たぶん私達の攻撃は通らない。』

 『逆に、そこまで辿り着ければ、体格差のせいで反撃は手薄になるってことね。』

 終着点である竜の頭部を望む。翳りを帯びる虚ろな瞳は、邪悪な真価を覗かせているようにさえ見えた。

 敵は未だ、己の体表を這う二人の存在に気付いていないようだ。

 先の一撃で屠ったと勘違いしているか、或いは思考自体が混濁しているのか。スナッチャーに少しずつ中枢の支配権が移行しているせいもあるだろう。

 胴体部へと近付くにつれ、次第に猟奇的な軌道も落ち着きを取り戻してゆく。

 巨竜はその規模に見合った凶悪な体躯を保持するが故に、微細な皮膚表面の刺激には疎いらしかった。

 眼球や顔面など、比較的薄い表皮であればいざ知らず、厚い魔晶石に覆われた外殻にあっては尚の事、その知覚も鈍化せざる負えず、二人は意図も容易くその尾の付け根部分へと到達した。

 その時点で勝利を確信する。ここまで来れば、竜に自衛の術はほとんど残されていない。

 喉元から火炎を吐こうとも、体表へ掌を振るおうと、あと数秒の間に打てる有効な反撃手段は限定されている。

 あとは魔晶石の薄い外皮を割って魔法を流し込むか、或いは柔らかい口腔や鼻腔などの粘膜部分を攻撃を定めるか、選択肢は幾つも転がっていた。

 体格の大きく異なる二つの生物。

 両者の攻防は懐に入られた時点で、決着がついていた。

 物理のみの闘争であれば体格差のアドバンテージにより、戦闘前から命運は決まっていた。だが、そこに魔法という不確定要素が絡めば話は変わってくる。互いに相手を殺し得る手段を備えているのであれば、先に自刃を届かせた方に軍配が上がる。

 今回のように人の攻撃範囲外であれば、竜が圧倒的有利を決め込むことが出来るが、ここまで接近されれば立場は逆転し、その超大型の体躯が仇(あだ)となる。

 とどのつまり、懐に入られた時点で竜の攻撃手段は限定されるため、有効な手立てが無ければ、攻勢に転ずることすらままならない。

 一方のクレイズ達は目下、魔法を減衰させる外殻さえ無効化すれば、後は王手を掛けるだけだ。

 魔法世界にあっては、有効攻撃範囲が勝敗の趨勢(すうせい)の多くを担う。

 相手の攻撃範囲外から一方的に攻撃することが出来ればかなり優勢に戦いをコーディネートできるが、両者の領域が重なった時点で、保持する攻撃手段の如何によって結果の予想は困難を極める。

 現状を分析すれば、竜の勝利条件を満たすカードは殆ど残っていない。この状況に持ち込まれる前に、自身の尾による直接攻撃ではなく、遠距離から投石などで攻撃するべきだった。

 強固な魔法防御性能を誇る魔晶石の鎧と、恵まれた頑強な筋肉。

 それを活かす術は、既に断たれたも同然だった。

 対する魔法使い達は、無数の手段を持っていた。

 多種の魔法を使いこなし、さらに必要に応じてアーカイヴスにアクセスし、その時点で最適となる魔法や戦法を得ることが出来る。

 種としてその技術を身に着けた時点で、個体と個体ではなく、個体と軍勢の戦いに持ち込める。

 過去から踏襲される戦闘技術の蓄積は、魔法使い達が他の生物種を圧倒する大きな要因を担っていた。

 つまるところ、既に、勝敗は喫していた。

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