自作小説

【第1部第2章35節】Crisis Chronicles

 ―――それはまるで、砂塵を纏う竜巻と相対しているようだった。

 途轍もない暴風が幾重にも立ち昇り、地下空洞の天蓋すらも突き崩そうと、無秩序にその熱量を巻き散らす。

 その軌道に抗おうとする者は、須らく全身を鞭打たれ、稲妻の如き進行速度さえも大幅に減退を強いられる。

 些細な挙動で岩盤が砕け散り、まるで地殻変動により地盤が根こそぎ剥がされるような轟音が至る箇所で噴出する。

 巨竜が四肢を叩きつける度、乱雑に並んだ鋭い歯列を思わせる白い岩塊が幾重にも隆起し、連鎖的に押し寄せる。

 過剰なまでの暴力を秘めた竜の脚は、地を踏む空気圧だけで周囲を吹き飛ばすほどの膂力を宿していた。

 一歩ずつ竜が歩みを進める都度、地下空洞内に白い爆圧が巻き起こり、岩盤が根こそぎ捲り上げられ、白刃のような砂嵐がうなりを上げながら四方へと逆巻き散ってゆく。

 ―――地形というものは、これほどまでに簡単に、粘土細工のように豹変してしまうものなのか。

 猛る咆哮は耳をつんざき、硬質な壁面に地割れを生み、地下水脈の運行さえをも狂わせる。

 鋼鉄よりも強靭な尾は蛇腹のように捻じれ狂い、触れた有象無象を切り裂き、痛ましい禍根を残した。

 反撃に転ずるにしても、巨躯の表面に備わった魔晶石の高硬度を前に、物理攻撃の悉くが無効化されることは自明の理。

 それでもなお有り余った運動量は行き場を求め、暗い洞の中に、大規模な破壊痕を深く刻み込んでゆく。

 静謐だった地下空間はごく短時間の合間に、切り立った凶悪な支柱が幾重にもうず高く聳(そび)え立つ、奇怪な地獄へと変貌を遂げていた。

 足の踏み場すら乱雑に破壊され、現実へと表出した悪意の陥穽と断裂に阻まれ、常人には僅かな進歩すらままならない。

 急転直下を迎えた戦場を顧みるに、寸前まで平地を装っていた巣穴は、明らかに罠であったとしか思えなかった。

 瓦礫と隆起する地表で獲物を機動性を奪ったところで、広範囲の尾の一振りを見舞う。

 ―――それはまさに、一刀両断。

 気体、液体、個体の総てが、地上1mの高度で断ち切られた。

 構造物の美しい切断面がその切れ味を物語っており、切り取られた断片は凄まじい速度で彼方へと吹き飛ばされていった。

 最早その圧倒的な破壊力と攻撃範囲を前に、尋常な者であれば戦意喪失を免れることはないだろう。

 ―――だが、その支柱の合間を縫い、高速で立体的に移動していく二つの影がある。

 そんなことは想定内とでもいうように、再度、返しの刃で尾が払われ、隆起した石柱の残骸ごと、その暗い影を両断しようと迫る。

 処刑斧が通り過ぎた地形は、今度こそ構造物の象(かたち)を失い、あえなく瓦礫の山と成り果てた。

 しかし、巻き起こった砂埃が晴れると同時、凶刃がまたも空振りに終わったことを悟る。

 先の攻撃を寸前で地に伏せて回避した魔法使い達は、紙のように切断されてまき散らされる大岩をよそに、再加速を始める。

 本来であればそれで防ぎきれる筈がない。例え直接的な攻撃を回避しようとも、副次的に生じる鎌鼬(かまいたち)により痛ましい風切り痕を受け、その場に留まることさえも赦されず、遥か後方まで吹き飛ばされるか大きく後退を余儀なくされる筈であった。

 だが現実問題として、依然二人は空気塊の運行など意に介することなく、ただ前へとひた走り続ける。

 答えは、二人が足裏に張った重力魔法と全身に纏った空間魔法にあった。その恩恵を受け、靴裏は接地面を捉えて離さず、体表に届く空気抵抗すらもその意味を喪っていく。

 一切迷いのない進行速度は、まさに驚異的としか言いようがなかった。走り抜けた歪な地平は、その悉くが常人であっては体重を預けるにも不安を覚えるほど崩壊しかけていた。

 「ちょっと……何、こんな暴力……流石に想定外よ!」

 紅髪の少女が不満を口にするが、相棒はすぐにそれを窘(たしな)める。

 「クレイズ、今さら文句言わない!次の攻撃に併せて、行くからね。ちゃんとわかってる?」

 「うん、多分!」

 「多分って……ほら、来るわよ!」

 ユリアは平然を装いながら、改めて正面へと向き直る。

 本当は、目の前の竜が恐ろしくて堪らない。

 自身の体格と比べるべくもなく、その巨躯は桁違いな熱量を伴っていた。

 恐らくあの攻撃を食らえば、ほんの爪先を掠めただけでも容易に半身を持っていかれることだろう。

 だが、足を止めることはできない。

 だとえ泥に塗れても、眼前に立ちはだかる壁がどんなに大きくとも、その向こうに、自身の助けを必要とする人がいるのであれば、それは諦める理由にはならない。

 ユリアは一度目を閉じ、数瞬の内に己の内と向き合った。

 『一体、私は何のために此処まで来た。ここで終わっていいわけがない。この地獄を乗り越えた先にこそ、心から救いたい人達がいる。』

 これまでも、悲嘆に暮れた任務、泣きたいほど過酷な出来事、何もかも投げ出してしまいたいほど、希望を失いかけた絶望があった。

 そのような困難に嘆き悲しみ、自失しかけたことは何度もあった。

 それらを乗り越え、私は今、ここに立っている。

 しかし未だ、この心に燻り続けている暗雲を完全に断ち切ることはできていない。―――それでも。

 『それでも、私は前に進み続ける。これからも連綿と続く、困難の連鎖を乗り越えて、この一度きりの人生を生き抜いて見せる。大切な仲間達の分までッ!』

 竜の長大な尾が僅かにその鎌首を持ち上げ、直後に爆発的な加速度を伴って振り抜かれた。

 空気抵抗など関係ない。物理現象の壁さえ突き崩すかの如く、その速度は減衰することなく、殺意を纏いながら少女の細い肢体を貫こうと飛来する。

 「銃器換装―――散弾銃(アームズ・シフト―――――ショットシェル)」

 「魔弾装填―――振動弾(シェクトバレット―――リロード)」

 直前に、ユリアは先の地面へ向けて振動弾を撃ち放った。打ち据えられた地表から巻き上がる大量の砂埃は周辺一帯の環境を覆いつくし、動的物質の痕跡を希薄化する。

 三度振るわれた尾は一切の容赦なく、地下空洞に桁違いの損壊を齎(もたら)すこととなった。

-自作小説