ある種、霊廟にも酷似した伽藍の空間に巣くう闇が、周辺一帯の影と混ざり合い、静かに滞留を続けている。
―――そこは一見すると、荘厳な雰囲気を纏う教会のようであった。
均質に圧縮成形された闇が精緻に敷き詰められ、何者にも侵されぬ静謐を織り成している。
その内に溶け込むように在る、一際暗い人影に気付いた者はいただろうか。
常態化した濃霧のような影は人型へと取り込まれ、濃縮と精製を繰り返し、その純度を一層引き上げてゆく。
長い間、純正の黒は一貫して只その場に在り、浄化されることなく、まるで何かを待ち続けるように停止していた。
―――だがやがて、深い曇天が静風でゆっくりと祓われ、雲の切れ間から差した月光が、天窓から差し込み始める。
それに伴って別種の淡い光が延び、広い空間の内部を仄かな明かりが満たしてゆく。
―――特大級の魔晶石。
上部から差し込む月光がその表面で乱反射し、魔力光とともに幻想的な光粒子に働きかける。
「―――アリス。ようやく……ようやく始まったよ、俺達の夢が。もう少しで完成する。この世界を降りかかる悲劇から守り、滅びの連鎖を断ち切るために。ここに辿り着くために、これまで君が流した血と涙は、一滴たりとも無駄にはしない。恐らくこの機を逃せば、今までの世界と同じ終わりを迎えてしまうことになる。―――ほんとのところ、少しだけ不安なんだ。あの頃のように、もし君が今も隣にいてくれれば、どれだけ心強かっただろうか……自分でも女々しいと思うよ。今もまだ、不安になると君を頼り、こうして嘗ての温もりを求めて、無意識に此処へ足を向けてしまう。カレン、ソフィア、君と娘たち……。大切な人達から託された願いは大きい―――大きすぎて、これからも自分一人で抱えきれるか、本当は心配なんだ。―――でも、絶対に諦めない。他でもない君に誓った約束だから、君が最後に遺した、掛け替えのない祈りだから。たとえこれから、どれほど辛いことが起ころうとも、その悉くを退けて、あの時、夜天かけた願いは、必ず成就させてみせる。」
男―――クラインの前には、まるでこの大部屋の支柱を成しているかのような、床から天井まで伸びた円柱状の透明な容器があった。
その内部には途轍もなく大きな魔晶石が浮かんでいる。月明かりがその表面で乱反射し、淡い光が屋内の照度を幾分引き上げている。
―――その透明な魔晶石の中に、白く透き通った肢体が見て取れる。
美しく整った造形。まるで現代技術の粋を凝らして完成させた芸術品のように、頭頂部から足先に至るまで一切の過不足なく、見る者の心を等しく浄化するような美がそこには在った。
透き通った肌の質感や穏やかな表情は特に、寸前まで息をしていたかのように、仄かに赤みを帯び、穏やかな命の息吹を感じさせる。
まるで美という概念が人の形を成し、そこに実像を結んで存在しているかのようだった。。
―――だが、優しく穏やかな、そして母親のような優しさを伴ったその表情は、一瞬の時間を切り取ったかのように、最早そこから動くことはない。
クラインは愁いを帯びた表情で、透明な円柱の表面を右の手のひらで触れる。
「それじゃあ、もう行くよ。また娘達のことを話しに来る。この前伝えた、エミリアのことも心配だから。……次は、―――も連れてこれるといいんだけど……」
男は薄布を纏った女性を見上げ、僅かに口元を緩めた。女性の紅い長髪は、二人の少女の髪によく似ている。
そして少し寂しそうな表情を見せた後、踵を返し、ゆっくりとその大部屋から退出していった。