自作小説

【第1部第2章28節】Crisis Chronicles

 体内を巡る1グラムにも満たないホルモンやタンパク質、脂質のバランスが崩れただけで、恒常性(ホメオスタシス)は発狂し、生命は容易(たやす)くその生を閉じる。

 そうでなくとも、魔法使いの殆どが使用できる製氷魔法。例え瑞(みず)を一滴しか凝固させられない微力な魔法でさえも、それを人体――――具体的には心臓の冠動脈や脳血管の一部に使用すれば、人を殺めることは赤子の手を捻るより簡単だ。

 現在浸透している教育課程では、恐らくは八歳児でも要所を突けば竜種を殺傷することが可能だろう。それほど魔法という力は、危険であり、異常であり、生物種の身に有り余る代物だった。

 もしもこれが悪用されれば、簡単に人が滅びの道を進むことは明白。それを抑制しているのは一重に「4S-System」の加護によるものだった。

 その恩恵(おんけい)を受け、人類は魔法を自らの発展や幸福の追求、善行の行使に用い、不当に濫用されることから忌避された。

 どれほど微量な魔法でも生物の急所に到達すれば、それを受けて生き長らえ得る術は無い。

 とどの詰まりは、この前の、霊体膜を纏った骨の化け物が異常だっただけだ。本来ならば、或いはもしも対面したのが銃撃を主力とするガンスリンガーでなければ、敗退を喫することなどあり得なかった。

 生物から命を奪うことは簡単だが、既に命を喪失し、動く傀儡と成り果てた物体を魔法を使用せずに機能停止状態に追い込むには、些か以上の徒労を要する。

 今まさに、それを手ずから証明するように、ユリアは魔法一撃毎に、自らの総身よりも数倍の体格を誇る生物を造作もなく蹴散らしてゆく。

 これこそが、ガンスリンガーの真骨頂だ。

 現在地点は、ムピロスクとの戦闘から1キロメートルほど進行した密林地帯。その内部には幾多の原生生物達が各々の生活拠点を築いており、様々な魔物が跋扈(ばっこ)する巣窟と成り果てていた。

 猿や熊に類する魔物達が頭上から所狭しと降下し、器用に植物のツタや幹の表面を滑り抜けながら、容赦なく二人の背後や死角から襲ってくる始末だ。

 「なによこの数っ!私たちに休む暇を与えないってわけ?」

 クレイズが飛びかかってきた小型の猿を振動剣で切り払いながら、大樹の幹を蹴り上げ、立体的に反転しながら走り抜けて不平を呟く。

 「えぇ、どうやら敵は消耗戦に切り替えたみたいね。標的が二人だけだから、戦略としては定石かもしれないけど」

 ユリアが木々の間を飛び跳ねる複数の大型げっ歯類を銃撃しつつ応える。額から一筋の汗が流れ落ち、不休の激闘により生じた疲労感が表出し始めていた。

 『でも、負けるわけにはいかない。こんな事で音(ね)を上げていたら、彼ら(シールズ)に顔向けできない……』

 多勢に無勢の状況であるため、ラクリマの丘への進行速度はかなり遅滞しており、ユリアの脳内に再び焦燥感が湧き上がってくる。

 「ちょっとユリア、先走り過ぎよ!二人しかいないんだから、お互いの背中を守り合っていかないと!」

 「クレイズ、ごめんっ!ちょっと冷静さを欠いてた……もっと慎重にならないといけないのに……でも、急がないとタイムリミットが……」

 若干声が震えているユリアに対し、クレイズが宥(なだ)めるように肩を叩いた。

 「まだ大丈夫よ。さすがに一分一秒を争うような状況じゃないし、それに私達のどちらかが倒れたら、それこそ万事休すでしょ?まずは雑魚をいなしながら、確実に進みましょう?アーカイブスに記録されている地図では、もうそろそろ密林地帯を抜けるころよ。そうなったら、もう少し進みやすくなるはず。」

 「そうね……ありがとう……」

 どうやらこの作戦に対し些か以上に責任感を感じ、精神的に気負い過ぎている節があるユリアを間近に見て、クレイズはこの状況を客観的に自分の中で整理しようと心を落ち着けた。

 『ユリア、ちょっとまずいわね……焦りが動きを鈍らせてる。この作戦が万が一長引くようなら、精神的に参ってくるかもしれない……』

 繁茂した密林に視界を奪われる道なき道が続いてゆく、いつかそれが終わることは知っていても、今のこの状況が改善されるわけではない。

 ―――途端に、鋭利な金属が無数に噛み合わさるような音が、後方側面から急接近してきた。

 「げっ、大量の虫じゃない!ユリア、わたしこの数はちょっと無理かも、これはパス!」

 ユリアが右後方を見ると、甲虫や蜘蛛などの手のひら大の多種多様な昆虫達が巨大な黒々とした大群となり、一塊となって近付いてきていた。

 本来ならばあり得る筈のない、複数種による群れの形成。それは一見すると一つの泥波のような様相を呈しており、そこに呑み込まれた若い木々や雑草は根こそぎ刈取られ、乱雑に食い千切られたような地表を露出させていた。

 恐らくアレに巻き込まれれば、裁断機に放り込まれた紙くずのように、いとも簡単に解体にされるであろうことは容易に想像がつく。

 「―――――――――魔弾装填・雷撃弾(サンダーバレット―――――――リロード)」

 けたたましい金属音を撒き散らしながら迫りくる波に向かい、ユリアは複数の電撃弾を浴びせ掛ける。到達した3発の魔弾が波に到達すると同時、けたたましいスパークが鳴り響き、周囲に強烈な閃光が飛び散った。

 『これでどうか……おそらく金属製の表面を持った生物なら、連鎖的に感電してくれるはず……』

 ユリアは視覚情報と連動したアーカイブスに検索をかけ、生物群の大半を構成している甲虫の体組織データに注視していた。

 だがしかし、魔法効果は波の一部を乖離させるだけに留まり、波自体の進行速度の低減には、さほど影響を与えることはなかった。

 「どうすんのよ、あれっ!?」

 クレイズが木の上を器用に跳ねながら、大型の蜘蛛2匹を相手取り、生理的嫌悪感を露にしたような声で叫ぶ。

 黄色の下地に黒い斑点広がった体色と、禍々しく逆立った強靭な体毛を有する蜘蛛の口元から、太いロープさながら高粘着性の糸が高速で吐き出される。

 放射される蜘蛛の白糸を寸前で躱しながら、加えてもう一体、巨樹を這い上がり飛びかかってきた巨大有袋類のかぎ爪を紙一重で弾き返す。

 「効果範囲の広い電撃弾が効かないんじゃ、別の魔法を試すしかない!」 

 言いながら、ユリア側も並走しながら飛びかかってきた小動物(恐らくげっ歯類)を左手の振動剣の側面で打ち据え、豪快に弾き飛ばした。

 振動剣の表面には一時的な魔法効果を纏わせ、接触した対象をマーキングする作用を施していた。殴り飛ばされた小動物はあえなく虫達の黒い波に呑み込まれる。

 彼女の想定通りならば、小動物は波に巻き込まれた後、ひき肉状に凄惨な運命を辿るはずだった。

 ―――しかし、まるで何事もなかったように、マーキングされた小動物は波の側面から排出され、怪我すら負っていないようだった。

 その現象を目の当たりにしたユリアは、僅かな時間驚きに目を見開いた。だが頭(かぶり)を振り、すぐに冷静な状況判断へと己の意識を集中させる。

 『なるほど……ディーヴァによって統制された生物達は驚くほどに理知的に行動するのね……。攻撃対象を敵と味方で明確に選別することが出来る。なら、対抗策としては……』

 だが、状況は絶望的なまでに差し迫っていた。複数の敵影を相手取りながら、窮地に追い込まれたクレイズが相棒へと助けを求める。

 「ユリア!この波早過ぎっ!巻き込まれるっ!」

 大樹の幹に幾度となくぶつかりながらも、高速でねじり狂い、クレイズの極近傍まで迫っていた蟲の津波に対し、ユリアが即座に重力魔法の呪文を紡ぎ始める。

 瞬時に構築/展開した立体魔法陣がその効果を発動させると、虫達の大群の一部が強引に引き剥がされ、それが空中で円錐状に広がり、残存する群れの大半に覆い被さった。

 まるで閉じ込められるのを嫌がるような悲鳴が湧き上がり、不快にむせび泣く金属音が密林の中に反響する。

 仲間を攻撃できない特性から、仲間を疑似的な檻として機能させる。それは結果的に、瞬時の発想としては及第点以上の効果を上げることに成功した。

 「よし、閉じ込めた!あとはこれで決める!」

 ユリアは流れるような動きでバックパックから取り出したエレメント・グレネーダを力の限り投擲する。

 それは小雨の舞う暗い空を一直線で駆け抜け、まるで当然のように、生物檻に穿っていた孔に呑み込まれた。

 次の瞬間、エレメント・グレネーダは昆虫群の只中で大仰に爆砕し、尋常ならない熱風を周辺一帯に巻き散らした。急造の虫籠は破裂して消し飛び、内部にいた蟲達は圧壊しつつ空中で燃え尽き、目測だがその殆どを死滅させるまでに至った。

 だが、密林の内部には未だ多くの生物が渦巻いていることに以前変わりはない。

 ユリアは得られた結果を顧みることなく、思考を切り替え、迫りくる様々な動物群に集中し銃撃を再開する。

 「さすがユリアね!おかげで助かっ―――――危ないっ!」

 賞賛の言葉を述べようと相棒の方を向いた瞬間、ユリアの奥に位置する密林から、複数の赤い閃光が視界に飛び込んできた。

 まるで凶悪な野獣の眼光のように、二つずつが等間隔を空けて複数点在している。視野内で捕捉できた閃光の数は―――8。

 次の瞬間、密林から複数の飛翔体が高速で打ち出された。それは直線状に空間を貫通し、多角的にユリアの側面に到達しようとしていた。

 ユリアは訳が分からないまま、第六感のみを頼りに、身を捻りなんとかソレを回避しようとした―――だが、うち1つが、右腕を掠めていった。

 「きゃあああああっ!」

 僅かに掠めただけで、スパークを伴う高電圧が少女の総身を駆け抜けた。強烈な痺れが全身に纏わりつき、容赦なく意識の過半を奪い去る。

 即座に、クレイズが動けなくなった相棒のカバーに回る。―――だが、その間も容赦なく襲い掛かってくる動物群の群れ。

 そして無慈悲にも、血の色を彷彿とさせる紅い閃光が、再び密林の奥の闇に灯り始める。

 

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