自作小説

【第1部第2章23節】Crisis Chronicles

 しかし、勝利の快楽に舌鼓を打ちながら器用に直立し油断を露わにしているムピロスクに対して、災難はその足元を掬うように降り掛かった。

 「―――――――――魔弾装填・振動弾(シェクトバレッド―――――リロード)」

 後足で体重を支えながら、鮮血に濡れた三体の獣が満たされる殺人衝動にその首を震わせたと同時、その魔弾は朱い霧の中から弾き出された。

 至近距離から放たれた秒速500メートル以上の銃弾さえも容易に回避する凶悪な生物。それは今回も同様に、余裕に浸っている状況でも滞り無く発揮されることは自明の理だった。

 例え睡眠時に遠方からライフル銃で狙撃されようとも、変わることはない。それどころか彼等の鋭い感性により、射手は瞬く間に居場所を特定され、獲物と狩人の立場は即座に交代を強いられるだろう。

 しかし、余裕を持って健に力を込めようとしたムピロスクは、或ることに気が付く―――――――跳躍しようとした足裏が、地面から一向に離れようとしない。

 先ほどまで人間の血飛沫だと思われたソレは、強力な粘着性を帯び、高速生物の機動力を著しく削いでいた。

 「ギュアアアアァァァァ―――――――ッ!」

 一瞬の油断が、彼等の戦歴に敗北という泥を塗り付けた。逃げ場を失った緑色の生物は、悲鳴を上げながら自らの足に疑問符を叩きつけ、次の瞬間には粉々に砕け散った。

 降り頻(しき)る鮮血に捉えられた残敵は二体。片方は、撃ち出された凶弾により次の瞬間には先程の一体と同様の最期を迎え、体色よりも尚濃い緑色の血液を周囲に撒き散らした。

 だが、しかし残る一体は全く予想外の挙動を示した。己の死を悟った野生生物が文字通り捨て身の行動を選択した。それはその個体にとっても苦肉の策に違いなかった。何故なら――――――

 信じられないことに、両腕部に備えられたブレードで自らの両足を中半から切り落としたのだ。決死の覚悟で目下の地面を両腕で殴りつけるように加速し、鋸(のこぎり)のように不揃いの犬歯をその大きく開いた顎から覗かせ、霧中のユリアに向けて加速した。

 二体目のムピロスクを討ち倒すのとそれがほぼ同時だった為、ユリアには次の魔法を行使する時間は残されてはいなかった。最早、瞬速の生物に向けて照準を合わせるには時間は足りず、右腕を手前に突き出し、身を守る姿勢を取るより他になかった。

 決死の生物が凶悪な咆哮を上げながら標的へと一直線に飛んだ瞬間―――――或いはその前から―――――既に、ユリアの眼前に投擲されていた影が在った。

 一心不乱のムピロスクがその存在に気付いた刻には既に、両足は地面から離れており、急停止を掛けるにはその為の彼我の距離も思考速度も絶望的に不足していた。

 ――――――結果、飛行物の描く軌跡上に、狂乱した獣は敢え無く自ら飛び込み、ソレによって串刺しにされ、近隣の大木の中点へと百舌(もず)の早贄の如く張り付けられた。

 両足と腹部の傷の痛みに呻(うめ)く獣。それから数秒の内には、振動剣から与えられる激痛に耐え兼ねてショック死を起こした。そんな仲間の醜態に殺気を削がれた周囲の四体は、それを行った二人の人間を木陰の奥から睨め付ける。

 「ありがと、クレイズ……危うく片腕を失うところだったわ。それにしてもよくアレが自分の足を切って跳んでくるって分かったわね?」

 「流石に自分の脚部を切り落とすのは驚いたわよ?ただ、見えてただけ……でもそれから奴が貴女に向かって飛ぶことは簡単に予想が出来たわ。筋肉の動きとか、眼球の焦点とかでね。だから先に振動剣を投げておいたの……おかげで助かったでしょ?」

 目の前の少女がさも造作の無い事のように軽快に答えるのを見て、ユリアは驚きを隠せず、ほんの少しの間言葉を失っていた。

 「へッ?…………すごい観察眼ね……まさか貴女、両目を機械化してるんじゃないの?」

 此方を訝しむような少女の軽口にクレイズは微笑み、緊張感の薄れた雰囲気に乗せて冗談めいた答を返した。

 「ふふっ、それはないわよ!生まれてこのかた唯の一度だって自分の体にメスを受け入れたことなんて無いもの!」

 「う~ん、怪しいわねぇ……それに、一歩間違えれば突き刺されてたのは―――――」

 「そんな事気にしてないで―――――――ほら、また来るわよ?」

 二人が軽口を叩いていた数秒の間に敵側の指揮は大分回復したようだ。頭上からの奇襲が用を成さないと悟った敵は、今度は地中へと潜り込んだ。

 その証拠に暗い闇の中から、四体のムピロスクは刃物のような背びれを地面から露出させ土中を潜行して移動を始めた。

 海上を渡るレムナント・シャークの群れように、それは二人の周囲を旋回し、刹那の隙を伺う。

 障害物や抵抗の多い地面の中では、先程のような地上での素早い動きは出来ず、全力で機動を示したとしても背びれでの斬撃や飛び掛かり程度が関の山だろう。

 それならば、跳びかかって来た時に振動剣で真っ二つに切り捨てれば事足りる。しかし、そう思っていた二人を嘲笑うかのように、彼等の行動は予想外のものだった。

 二人の周囲の地面を高速旋回していた四匹は次第にその速度を増し、肉眼で追うのにも少々疲労を伴う程に加速した時、その内の一匹が地面から飛び出し、クレイズに向かって跳躍してきた。

 此処までは予想通りだったが、飛び出してきた個体を断ち切る為に踏み出したクレイズの足が掻き回されて泥濘(ぬかる)んだ地面に嵌まり、僅かに態勢を崩した。それでも少女は絶望的な体勢から己の得物を振りかぶる。

 金属音を響かせ間一髪で噛み付きを弾いた振動剣はクレイズの手中から周辺の砂上へと吹き飛ばされ、彼女と数メートル程の距離を置いて垂直に突き刺さった。

 ―――――――――振動剣がッ!…………まさか、この生物は…………

 そして次の瞬間、二人の体重を支えていた地面が大仰に陥没し、蟻地獄のような地形の只中に標的を呑み込んだ。

 「グェェェェエエエェェッ!」

 蟻地獄状の土砂の中を縦横無尽に疾走、跳躍し再び土砂の内部へ没入するムピロスク。二人は咄嗟(とっさ)の対応策が思い付かなかった。土砂を踏み締めて登ろうとするほど、流動する砂は深部へと二人を手繰り寄せ、穴の径は拡大を繰り返すばかりだった。

 渦中へと引き込まれる寸前、陥没の影響で表面に露出してきた大木の根本を掴んで体重を支える。大樹の根は先端へ向かうほど複雑に絡み合っており、少女の直下2メートルの位置に振動剣が不安定に引っ掛かっているのを発見した。

 何とか体重を支え下方へ移動し、両足を根に巻き付けて振動剣へと手を伸ばしてみるが全力で伸ばしてもギリギリ届くかどうかの距離に位置する為、現状爪の先を掠るだけに留まっていた。

 ――――――――――クッ、あとすこし…………

 敵にそんな隙を与えるほど、ディーヴァに取り憑かれ狂乱したムピロスクは甘くはない。

 背部に隙を曝(さら)け出している紅髪の少女を認め、目標に設定すると突如砂中を加速する。弧を描くようにその軌跡は引かれ、速度が一定に達した瞬間、獲物へと向かって一直線に跳躍してくる算段だろう。

 敵の加速中を狙ってクレイズが無理な姿勢で数発の弾丸を放つが、それらはムピロスクの残影を捉えるのみで一向に標的を捉えることは叶わない。

 数本の砂飛沫を上げるに留まった迎撃に歯噛みする少女を余所に、一方銀髪の少女の脳内は鮮明だった。相棒の銃撃を事細かに吟味し、対応策を捻り出す。

 ――――――敵は未だ加速中。あの巨体をクレイズの留まっている高度まで持ち上げるには、あと数巡は加速が必要。周囲には蟻地獄の拡大により上流から流れてきた中規模の岩盤が五枚。この内足場に利用できそうなのは三枚。晶化降雨(レインフォール)により眼下の土砂の性質は水気を帯び泥状。最早この速度の敵を直接魔弾で撃ち抜くのは困難―――――――それなら…………

 泥中の凶獣が頭部を浮上させ跳躍を伺わせる挙動を示し、クレイズへと一直線に飛沫を上げながら一気に突き進んだ。そして尾びれを震わせ、砲弾のように空中へと――――――

 「―――――――――魔弾装填・雷撃弾(サンダーバレット―――――――リロード)」

 昏く張り詰めた大気を引裂き、一発の魔弾が撃ち出されたのは同時だった。

 その魔弾はバチバチと絶縁破壊音を周囲へと撒き散らしながら、跳躍中のムピロスクの極近傍へと即座に到達する。

 「「ギュアァァァァァァアアアアアアッ!」」

 同時、強烈なスパークが周囲を満たし、濡れた地面を伝導した超高圧の電流が敵の体表へと絡みつく。四匹のムピロスクは雷に打たれたようなけたたましい悲鳴を上げながら地表へ打ち上がり、跳躍途中だった個体の運動量は行き場を見失い、泥を巻き上げながら数回跳ねて岩盤へと衝突し座礁した。

 ヒク付きながら尚も強引に動こうとするムピロスク。隙を見てユリアは木の根から跳躍し、座礁した個体と同じ岩盤に足を下ろした。次いで懐からヴィブロメッサーを抜き、その首元を断ち切る。濃緑色の血飛沫は虚空へと吹き上がり、地面を濡らした。

 残存する敵は三体。しかし既に必勝法は見えた。先程よりも強力な電撃魔法を地面へと流し込めば彼等の息の根を止めることは容易い。

 ユリアが口腔から呪文を紡いで魔法陣を描き、魔法を行使する寸前、その場の生物の鼓膜を強(したた)かに打つ怪音が森全体に響き渡った。

 ――――――――な、何なのッ!この頭に響く音は―――――ッ!

 両耳を塞ぐ少女を余所に、ムピロスクの反応は顕著だった。泥中から跳躍しニ枚の岩盤と木々の上へ跳躍すると、目を見開いて音の発生源へと首を向け、何かを認めると彼方へ向かい逃走していった。

 「――――――――、一体………何だったの…………?」

 残された二人は岩盤伝いに何とか蟻地獄から抜け出し、地面へと腰を下ろして一息付いた。

 「――――――ユリア、また助けて貰っちゃたわね!それにしてもさっきの音とそれから逃げていったムピロスク……一体どういうつもりなのかしら………?」

 「さぁね……でも、さっきのムピロスク、ただ操られてるって感じじゃなかった……だって普通ならあんな凶悪なスピード……それに地面に潜るなんて在り得ないわ!どう考えたって可怪しい」

 「奴等の眼を見た?理性を失っている眼だった。多分、これは推測でしか無いけど……ディーヴァは他の生物種に取り付くとその宿主のリミッターを外すんじゃないかしら?」

 「リミッターを……?それってつまり、自分の体の限界を超えて筋肉とか魔力とかを使わせるってこと?もしそれが本当なら……治安維持部隊(シールズ)の人達の躰は限界に近付いているかもしれないわ」

 「えぇ……だからできるだけ早く、救けてあげましょう。でないと折角助けても、躰がボロボロですぐ死んじゃったら意味ないし」

 「怖い冗談ね、そうならないことを祈るわ。先を急ぎましょう……」

 ゲヘナ晶原の中心部へ近付いてゆくにつれ、足元に蔓延る薄霧も徐々にその密度を増してゆく。

 救出対象の存命時間も気掛かりである故、少女達は満足な休息もなく、さらに未曽有の危険地帯へと足を踏み出していった。

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