自作小説

【第1部第2章21節】Crisis Chronicles

 雨上がりの多湿な大気が周囲一帯を容赦無く満たし、自然環境特有の褪せた芳香が息衝く生物の呼吸に乗せて、鼻腔から肺の内部を侵食する。

 周辺には際限無く変形した木々が歪(いびつ)に繁茂し、その間隙を拭って薄霧が蔓延りその場の気温を照度明度と共に一層引き下げている。

 上空には厚く雨雲が張詰め氷眼にも似た月を覆い隠しており、人の介入に依る無粋な建造物も周辺に見当たらない為か、常在する自然景観ならば暗闇に満ちている筈のこの場所は在る点に於いて其れ等とは一線を画していた。

 ――――――――それは光。本来ならば常闇と化している筈のこの空間に、まるで夕暮れ時であるかのように仄(ほの)かな光粒子を放っている光源が一帯に存在している。

 見渡す限り一面の角礫岩(かくれきがん)や大樹、表土に至るまで全ての物質が透明な硝子のような結晶で塗装され、散乱光を綺羅びやかに放射してはそれを延々と悪戯に繰り返している。

 それは散在する魔水晶(ラクリマ)の内部が魔力反応により発光し、周囲の暗闇へ幾種類もの光を放っている為に生じた現象だった。

 魔水晶(ラクリマ)とは何らかの不特定因子により生じた魔力素の偏在領域が一定時間以上維持されることで生成される魔力素を高濃度に含有した結晶石。

 都市では魔力素の気流循環システムが確立されている為この様な偏在現象は発生しないが、自然環境下ではそれ程稀有な事ではない。

 人の生活圏内でこの様な分布率管理が行われているのは、高密度に滞留した魔力素はその相互作用により周囲の元素を強制的に結合または組成改変させ、物質化するという性質を持つ為だった。

 その性質故に高濃度の魔力素は周辺の物質を集積させながら魔水晶(ラクリマ)を形造る為、形成段階で不用意に近付くとその現象に巻き込まれる可能性があり非常に危険だと情報集積庫(アーカイブス)にも記されている。

 この事象により照らされた木陰の昏(くら)がりは影を祓われ、それは一際大きな魔水晶に腰を据えた女性の表情を微かに明るみへと引き寄せた。

 美しい黒髪が揺れ、薄く濡れた艶かしい女性特有の唇が顕となる。しかし幻想的な雰囲気を纏ったその全貌は未だ隠されたまま、美女は正面に頭を垂れる男に向かって穏やかに口を開いた。

 「――――――――――アルフレド、来賓への饗(もてな)しは済んだのかしら?」

 その声調は弦楽器の奏でる美しい音色のように木々の間へと透過し、微風の内に溶けて往く。

 本来、口頭での情報伝達は彼女達に必要の無いやり取りだったが、まるで劇場の幕が開かれるように、会話は恙(つつが)無く流麗に進む。

 「―――――――はい。多角迷彩を展開した最新型のレクティアでしたが、高速飛行の際に生じる飛散した雲から飛行地点を割り出し、綴やかにこれを撃ち落とすことに成功しました。」

 返す男の声は先ほどの女性の声とは正反対の荘厳なバリトン。一抹の確執さえ存在しないかのように淡々と言葉は紡がれてゆく。

 「そう。それでも、並の魔法使いならあの距離に魔力弾を到達させるのは不可能だったでしょうね、ご苦労様。降下した搭乗者はまだ生きているはずよ……やるべき事は、理解っているわね?」

 「――――――御衣に。既に下位個体も複数向かわせております。」

 ボロボロの服を纏った男性は女性の前に傅(かしず)いた。次いで即座に多量の流砂が嵐のように旋回し、男の周囲を覆う。

 凄まじい摩擦音が一帯を駆け抜け、砂塵が止んだ瞬間には、既に男の姿は跡形も無く消え失せていた。

 「ふふっ――――――ようやく面白くなってきたわね。さて、私達がこの筐体(リエニア)を完全に覆い尽くすまでに、彼等はどこまで足掻けるのかしら……」

 彼女の口元には冷淡な笑みが張り付き、嘗て部下へと向けられた優しい情感は既に喪(な)く。誰に向けたのかさえ判断のつかない、ただ寂しげな歌だけが周囲の魔晶石(ラクリマ)に反響していった。

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