「クレイズ!朝よ!起きなさ~い!」
「――――――――。…………ふぇ!?な、なにっ!?」
閉じられたドアを大仰に開け放ち、一切の遠慮無く、内部の静寂を持ち前の大声で追い払ったのは本来のこの部屋の持ち主である黒髪の少女だった。
完全に安眠状態に身を窶(やつ)していたクレイズは、外部から浴びせ掛けられた刺激に飛び起き、目を白黒させた。
「――――もう!ドアの外から何度も呼び掛けたのに全然起きないんだから!」
「……え…………あぁ、ごめんなさい………………」
見ればクレイズの両眼の端には一筋の涙跡があった。
その理由を知る由もなく、ユリアは内心戸惑い、次にどのような声を掛ければよいか惑(まど)った。
だが、一度口に出したことは、もう二度と自身の口腔内へと返ることはない。なんとか滞っていた思考を再起しようと試みる。
結局、少しシュンとして俯くような素振りを見せるクレイズに、ユリアはただ笑顔を呈し、今度は優しげな口調で本来の要件を伝えた。
「いいわよ、別に本気で怒ってるわけじゃないし……それよりも、朝ごはん出来たわよ。好みを訊いて無かったから、一応トーストしたんだけど……もしかして朝はご飯派だった?」
長い紅髪を軽やかに左右に揺らし、少女は否定の意を表する。
「ううん、私はあまり好き嫌いとか無いわよ。美味しく食べられるものならね。」
「なるほど、それなら良かった!それじゃ、着替えて顔洗ったら出てきてね、ホットミルク淹れて待ってるから!」
「りょーかい。すぐに行くわね」
まだ寝ぼけまなこのクレイズは、右手で目元を擦りながら生返事を返した。
緩慢ながら、少しずつのそのそと動き始める。備え付けの洗面で顔を洗った後、薄い桃色のシャツを脱いで身支度を始めた。
クローゼットを開けると、そこに掛けられていたのは、ガンスリンガーの面々が身に着けていたものと同じダークスーツ。
「―――あ。」
それを認めると、視神経から後頭葉までの経路が発火し、脳内に燻っていた眠気を一気に洗い流した。
「今日、やるのよね……。束の間の休息だったけど、これでまた一歩、エミリアへの糸口になる……。待ってて、もうすぐ助けに行くから……。」
独りごちたクレイズは、遥か遠方へと幽閉されているであろう妹の無事を一心に祈る。
どれだけ心配してもし切れないが、今の自分に出来ることは限られている。
エミリアへと至る路(みち)が、どれだけ遠く険しいものだったとしても、ただ目の前の一段一段を登り続けるしかない。
悪意を持って敷設された剣山を上り詰めて踏破したとても、ようやく至った頭頂部にて更なる絶望を叩きつけられるかもしれない。
だが今はただ、目の前に垂れ下がった蜘蛛の糸を求めて進む。
例え糸を掴んだ先で切り落とされても、また別の糸を手繰り寄せる。諦めることはない。進む道の先に、自分のことを待ち続けてくれる者がいるから。
着替え終えたクレイズは、内に宿り始めた闘志を静かに携え、姿見に映った自身を一瞥(いちべつ)する。
肩を回し、軽くストレッチを行う。服の可動域に問題はない。ギルド仕様に作成された装束ということもあり、今後の自身のパフォーマンスを忌憚なく発揮させてくれるだろう。
シンプルなデザインでありながら、随所の繊維に極小魔法陣を織り込んでおり、着用者の運動機能と防護機能を補助する魔法効果が散りばめられている。
紅髪の少女は静かに頷くと自室を出て、ユリアの待つ居室へと足を向けた―――。