自作小説

【第1部第2章12節】Crisis Chronicles

 その夜、クレイズは涼風に長髪を靡かせながら、ビルの窓辺から眼下の景色を眺めていた。

 眠らない街―――と呼ぶには賑わいが少ないが、遠方に散在する街灯の光が夜の寂しさを軽減させている。

 時刻は深夜零時過ぎ。普段ならとっくに眠りに落ちている筈の時間帯だが、今日のことを一つ一つ思い返していくと、眠気はさらに遠ざかっていった。

 第三都市に到着し、ユリアが治安維持局で抗議し、オプティマイザーで休息を摂り、街に繰り出して―――また新たな出逢いと目的を得るに至った。

 「エミリア……もうちょっとだけ、待っていてね……」

 口腔から流れ落ちた妹への想いは、脳内に燻る若干の焦燥感から零れ落ちたものだ。

 ユリアの協力により、エミリア救出への糸口を少しずつ掴みつつあるが、まだ確たる実感が持てないでいた。

 第八都市を出たあの時、ユリアと出逢えずに治安維持局に直接乗り込んでいたら、恐らく門前払いを受けていただろう。

 その場合、自分は次にどんな行動を採っていたか……やみくもに何処へともなくノルクエッジを駆り、都市内外を駆け巡っていたのだろうか……今となっては皆目見当もつかない。

 結果的に見れば、一見遠回りであった筈のクルス霊森での行動は、考え得る限りエミリアへの最短経路となっていた。

 それに次ぐ、今回のゲヘナ晶原に於ける依頼。

 その達成により、人工魔道衛星ソルスを活用したエミリアの固有魔力波長の痕跡を観測―――連れ去られた妹の所在を把握することができる。

 レルネシア学園を出立したときに比べれば、確実に目的達成に近付いている―――だが、まだ救出の為に必要なピースは十分とは言えなかった。

 黒幕の根城に辿り着いたところで、黒コート達が自分の前に立ちはだかることは目に見えている。

 初めて邂逅した際、その圧倒的な力量の差を前に、抗うことすら叶わなかった。

 実際に相対した者達に加え、相当数の敵がエミリアを捕らえている場所に配置されているだろうことは容易に想像がつく。

 今ある戦力だけで彼等を退け、エミリアを無事に救出できるのか―――いや、目的地の座標を治安維持局や父に伝え、助力を請うべきだ。

 それでも―――あの強大な力を退け、勝ち星を掴むことは出来るのか……。

 脳内で様々なシミュレーションを繰り返してみたが、勝率は高いとは言い難かった―――それでも、今はただ、前に進むしかない。

 エミリアへと繋がる目の前の道を一歩一歩、少しずつにでも進むしか、私には選択肢がなかった。

 幾許か一人で思案に耽っていると、脳裏から徐々に眠気が湧き上がってきた。

 「明日に向けて……もう寝ておかないと…………」

 クレイズは寝床へと戻ると、ゆっくりと目を閉じ、次第に夢の中へと誘われて行った。

 日中にオプティマイザーで少し寝ていたこともあり、少しの夜更かし程度であれば、睡眠時間は十分確保できたことになる。

 だが次は、ゆっくりと睡眠を摂れるのがいつになるか、そればかりは何の保証もなかった。

 ――――――――昏(くら)い、寂しい、暗い、冷たい、闇い、誰か……誰か、救けて…………

 見渡すと、全てが灰色の世界の中で、私はたった一人で佇んでいた。孤独から逃げるように、冷たい世界の内で目を閉じると、次に目を開けた時には馴染み深い自宅のリビングに居た。

 それでも矢張りたった一人。家中を探したけれど、他には誰も居なかった。素足で踏み締めるフローリングからは冷たい温度が踝(くるぶし)から這い上がってきて、私をとても不安で悲しい気持ちにさせた。

 再度訪れたリビングには、馴染みのある大きな木製のテーブルが静置されていた。私は椅子を引き、いくつか在る座席のうち、自分の席にいつも通り腰掛けた。

 それでも、何も変わらない。寂しさを紛らわせることは叶わない。失ってしまった人は、居なくなってしまった人は、死んでしまった人は―――――――もう、戻っては来ない。

 もう私の向かいや隣の席に座っていた人達は居ないのだ。この椅子に腰を落ち着ける度、あの人達の笑顔が頭の後ろの方から蘇ってくる。

 まだ鮮明に覚えている――――――まだこのテーブルに配置された椅子に一つの空きも無かった頃を……

 強く胸に願うと、みんなが目の前にいた。正面にセラお姉ちゃん、右隣にエミリア、左隣にお義父さん。

 でも、一人ずつ。一人ずつ悲しそうな表情を見せ、席を立って何処かへ行ってしまう。最初にセラお姉ちゃん。次にエミリア。最後にお義父さん。

 また、誰も居なくなってしまった。私はまた、一人ぼっちで取り残された。テーブルに両肘をついて頭を抱えて俯いた。止めようもなく、涙が止めどなく溢れてくる。

 ―――――――――帰りたい。戻りたいよ…………あの頃に。

 「う……うぅ……ひぐっ…………どうして……みんなぁ…………」

 口元から悲痛な声が漏れる。それは四方の白い冷壁に跳ね返って、また反転して私へと戻って来る。悲しみが悲しみを生んで、苦悶の涙はまた零れ落ちる。

 モノクロな世界。この色は私の今の心の色と同じなのかもしれない。テーブルに拡がった落涙の水溜りも色褪せて映り、全てが冷たく、そうして私は泣き崩れた。

 情けないけど、いつもは気丈に振舞っているけど、これが、本当の私。私だけが知っている本当の私。脆く、泣き虫で、悲観的で…………人前では、あまり見せられるようなものじゃない。

 胸の中に、幾つもの数え切れない程多くの思い出が浮かんでくる。

 四人で撮った記念写真。みんな笑顔で、まだ私の机の上に大事に飾られている。

 みんなで海に行った日。みんなで山に行った日。みんなで…………またみんなで――――…………

 一人ずつ消えていった私の家族。その離れたパズルのピースは、いつかまた揃う日は来るのだろうか?

 もう一度、大切な人達の笑顔をこの目で確かめたい。―――――――逢いたい。途方もなく、どうしようもなく……それが、例え不可能だと分かっていても…………

 幸せを祈り、悲願を手繰り、泣き疲れた紅髪の少女はいつしか夢の中の夢へと、うとうとと眠るように誘われていった。

 まるで辛い夢から、辛い記憶から逃げるように……今度こそは、誰もが待ち望むような暖かな夢へと辿り着けるように…………

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