既に上空は夜の帳を下ろす予兆を見せ始めており、両手で掬った落日の泉が溢れて零れ落ちるように、星霜を灯し始めた清澄な天蓋に橙赤色が染み始めていた。
数時間も過ぎて陽光の代わりに月の光が主立ったものとなると、それからは星海の合わせ鏡が人工湖畔により幻想的に映し出されるが、歩き疲れたこともあってか、それを見る前に二人は帰宅することにした。
「……ふぅ。久し振りにこの街を歩き回ったわね……あぁ、疲れたぁ~~」
両手を裏返しに組んで赤み掛かった夕方の秋雲へと伸ばし、一つ大きな深呼吸をしてから、傍らに寄り添うクレイズを何となく見つめる。
「―――――クレイズ、どうだった?…………少しは心の疲れが取れたかしら?」
「……えぇ、十二分にね。おかげで長らく伸ばしていなかった羽を存分に伸ばせた気がするわ。今日はありがとね……ユリア」
――――――――貴女のお陰で、失くしていた「大切な何か」を一つ取り戻せた気がするわ…………少し、心配を掛け過ぎたかしら…………
歩調を遅めて湖沿いの歩道を進む二人の影が名残惜しそうにその背を追従する。道沿いに行き交う人々もその数を減らし、減弱した陽光と共に街の寂しさを一層引き立たせていた。
花が咲いたような笑顔で応えたクレイズを見て、ユリアは夕焼けの空に朱く染まったその頬を隠しながら、それは良かったと一度頷いて、少し俯(うつむ)いて口元を微かに緩める。
――――――――…………もう、いつまでも暗い顔してたから、心配したんだから…………でも、良かった……少しは元気になってくれたみたい…………
それから何となく、しんみりとした無言の時間が続き、靴裏が優しく地面を踏み締める音だけが周囲に谺(こだま)し、それが一分も経とうかという時――――――――不意に、二人は背後から声を掛けられた。
「―――――あ、あの…………」
聞き慣れない可愛らしい女性の声に二人が振り向いて足を止めると、そこには栗色のウェーブの掛かった髪が特徴的な女性が一人、複雑な表情で此方を伺っていた。
彼女が袖を通している毅然とした服装は何処か、幼さが残るその面持ちに不釣合いだった。その容姿に少し驚いて二人が口を開かないでいると、女性は僅かに視線を上げ一言、質問を投げかけた。
「……クレイズ・ハートレッドさんと、ユリア・ノーチェスさん……ですよね…………?」
怪訝な視線を交わす二人。しかし数秒も要すること無く、そうですけど?と訝しむように単調に答えた。
すると女性は後方の建物の影に向かって踵を返し、一度何かに向かって合図を送るように深く頷いた。その表情は、横顔しか見ることは叶わなかったが、消え入りそうで、何処かとても儚げに見えた。
振り返った折に見えた後ろ手に組まれた女性の両腕は所々に絆創膏や湿布が充てがわれ、包帯が巻かれており、見るからに痛々しかった。
女性の合図を皮切りに、ぞろぞろと建物の死角から十数人もの男女が姿を現し、二人に向かって近付いてきた。
あまりの人の多さに警戒心を刺激されるが、その集団の姿を改めて確認すると、誰もが少なからず怪我を負っているらしく、包帯が体部の各所で見受けられた。
虚ろな表情の女性に見つめられながら数秒も待つと、二人の前で手負いの集団が足を止め、眼前に半円状の人混みを形成して取り囲んだ。その中には屈強な男性や女性も多数存在し、一滴の冷や汗が背中を流れた。
集団の放つその威圧感に、もしこの状態で一斉に攻撃を加えられたら?もし怪我が偽装だとしたら?と余計な考えが意図せず頭の中に浮かんで来てしまう。
睨み合いのような膠着状態が数秒間余り継続し、冷戦の様な冷たい空気を経て、先に口を開いたのは――――――
「―――――――お願いしますッ!俺達(私達)の隊長を助けて下さいッ!」
一息に吐かれたその大声に仰天し、半ば両腕を交差させて眼前を覆い、防御態勢を採っていた二人は薄目を開けて目の前に繰り広げられている光景に再びたたらを踏んだ。
そこには二人の少女に向かって身を固くし、何かを乞うように礼節を弁えた態度で頭を下げている精悍な集団が在った。
「「―――――――――へ…………?」」
状況を飲み込めず、戸惑うばかりの少女達は声を揃えて声にならない声を上げた。
何か自分達が重大な過ちを犯してしまったのだろうか?人を威圧するような行動を採ってしまったのか……などと今までの行動を振り返るが、残念ながら一つとしてそれらしいものは思い起こすことは出来なかった。
取り敢えずは状況を確認しようと、ユリアは無理矢理荒立った心を沈め、今一番必要で在ろう言葉を選び取った。
「あ、あの!状況が掴めていないんですけど!あなた方は何処の誰で、一体私達とどのような関係があるのでしょうか?」
早口で吐き出された言葉を理解し、顔を上げる目の前の集団。すると手前のセミロングの女性がその栗毛を揺らしながら何かに思い当たった様に、気恥ずかしそうに頬を桜色に染めた。
「あ……そ、そうでした!…………私達、別に怪しい者じゃないんですけど、あの、その……」
「ま、まずは落ち着いてください!それにそんなこと疑ってませんから!」
動揺している女性に対して窘(たしな)める役を買って出たのはユリアだった。何処か姉と妹の様な気配を感じるが、気のせいだろうか。
女性の顔の右半分は包帯で覆われている。どうやら傷を受けたばかりで、元通りに完治するまでは数日を要するだろうことが伺えた。
「えぇと、まず初めに……私達は『Shields-シールズ-』に所属している者です。」
女性は右腕に取り付けられたUADバングルで治安維持局の公証を眼前の空中に投影した。提示された情報を見ると、ユリアとクレイズより2つ年上の18才であることが分かった。
名前はミリア・ローデント。第三都市第一魔導部隊に所属しており部隊内での配置は後方支援と記載されている。この年齢で治安維持局のエリート集団に名を連ねるということは余程の事情があるのだろうか。
そんなことを思案しているとミリアはライセンスを凝視している二人に呟くように話しかけた。
「あの……何か、可怪しなことでも?」
はっと我に返り、立ち入った事を脳内から追い払うクレイズは話の先を促した。
「いえ、何でも在りません!ライセンスはもうしまって頂いて結構です。それより、何故私達にいきなり頭を下げるなんてことを?」
ミリアは少し恥ずかしそうに、そして何処か哀しげにまだ幼さの残る表情で口を開いた。
「数時間ほど前に、『GunSlinger-ガンスリンガー-』の方々が依頼を受けたと聞いたので……居ても立ってもいられず、病室から飛び出して来てしまいました…………」
一瞬、ドキリとしたが今はその続きが気になり病院から逃げたことは聞き流し、頷くだけに留めた。
「貴女達に提示された依頼は、4日前に私達が失敗した依頼(ミッション)が発端となっています。」
「それは、一体どういう意味ですか……?」
眉をひそめ、栗毛の女性はその先を続けた。
「あの日―――――私達はゲヘナ晶原での作戦中でした。秘匿事項に触れるので今すぐに詳細はお伝え出来ませんが、そこで私達は敵の罠に嵌まり、多くの犠牲を出し帰還したのがここに居る15名という大敗を喫しました。この数はリーダーを除いた部隊員を意味します。そして最期、脱出する際にリーダーは、私達を庇って敵に鹵獲されました。」
言葉を重ねるその口元には力が込められ、屈辱を受け辛酸を嘗めさせられたような感情が伝わってきた。その姿から、彼女達がどれほど悔しい思いをしたのかが伺える。
「―――――――だからどうかお願いしますッ!俺達(私達)の隊長を助けて下さいッ!」
叫び声にも似た懇願する声がその場の他の音を消し去り、冷たい風が両者の間隙を埋める。真っ直ぐに視線が合い、そのひたむきな内心が伝わる。
その真摯な態度に、二人は何の違和感もなく、既に覚悟は決まっていた。どちらにせよ、依頼を受けないことにはエミリアの所在を知ることは出来ない。
選択者は既に一つ。ならば、既に口から紡ぎ出す言葉は決まっていた。クレイズとユリアは互いに目を合わせて頷いた。
「必ずとは言えませんが、最大限の努力は惜しみません。そしてきっと、隊長さんを連れて帰ってきます。」
それから部隊員達は歓声を上げるように喜び、少しその場で談笑した後、解散していった。