グチャリ、グチャリと黒い粘液が滴るように糸を引きながらドロドロと汚らしく地面を這う。
腐敗に満ちた汚染は拡がり大地は醜く汚れ、漆黒の湖畔がコールタールのように膿み、接触した有象無象をその内に取り込んでは貪欲に喰らい続ける。
ゼリー状に固有外形を持ち得ないその生体には銃弾は一切の意味を成さず、傷害された細胞は惜しげも無く打ち捨てることが可能であるため魔法も対象を無力化するには至らなかった。
異形な生物を目の当たりにし、その情報をUADバングルに直結した『情報集積庫(アーカイブス)』に問い合わせる時間すら与えては貰えなかった。
昏い空に暗雲が立ち込め始め、不穏な空気を感じた時には、既に終わりが始まっていた。
「ひっ……ひぃっ……」
だらしなく尻餅をつき、地面を這い摺りながら後退する人間達。目元には涙を浮かべ、数時間後には仕事を切り上げて帰る筈だった暖かな家庭を恋い焦がれ、思い浮かべた娘の笑顔は恐怖の色へと塗りたくられる。
その双肩に重くのしかかった後悔と懊悩は、立ち昇る硝煙と仲間の怒声によって綯い交ぜになる。
「落ち着け、撃ち続けろ!弾幕を張るんだ!」
迷彩服を羽織った部隊員が後退しながら命令を叫ぶ。こうしている内にも「沼」は徐々に獲物を追い詰めて刈り取ってゆく。
本来ならば、性状を問わず己に触れた全てをその内に鹵獲(ろかく)し、自由を奪い支配する。それが彼らの本能であり、それが行動原理の全てだった。
だがしかし、ただそれだけに行動の方向性を縛られているのならば、こと戦闘に長けた魔法使い達が辛酸を嘗めることは万が一にも在り得ない。
この場の環境中に息づく生態系についても事前に詳細な資料を配布されていた。そして、眼前の生命体はその中の一種に相違無く、外見上は殆ど変化を見受けることは出来なかった。
だが、現実問題として都市の最高戦力は敗退を喫し、ただの原生生物を相手に撤退を強いられている。
――――――――――――何故か?
最初から可怪(おか)しかったのだ。
自分達がゲヘナ晶原に踏み入った直後から、動物たちは息を潜めるように鳴き声一つ漏らさなかった。加えて、何かに怯えるように走り去る音ばかりが耳に付いた。
そして数分も進行すれば何の前触れもなく、まるで罠を張っていたかのようにスフィアスライムの集団に取り囲まれ――――――現在に至る。
獲物を捉えるために罠を張る生物は都市外に於いてさして珍しくもないが、スフィアスライムはその範疇には含まれない。
何故ならば、彼らは肉食生物ではなく腐葉土や雨水などを体表に浸すことでその栄養素を吸収し、成長すれば開裂増殖して個体を増やすという生態系を構築しているからだ。
故に他者に襲われることすら在れ、他の生物を好んで―――――ましてや徒党を組んで理知的に襲い掛かることなど在り得ない。
謎は深まるばかりだが、そんなことを悠長に考察していられる時間は自分達に残されてはおらず、ただ我が身の安全だけが最優先事項として脳裏を蝕んでいた。
最早安全圏など何処にも無い。蜘蛛の子を散らすように武装した部隊員は逃げ惑い、泥濘(ぬかる)んだ地面に足を奪われ全身を泥に塗れ、その姿には嘗ての尊厳など何処にも無かった。
それは掃討戦―――――いや、ただの虐殺としか形容できなかった。
所構わず鳴り響く銃声。各地で放たれる魔法。狂気を孕んだ悲鳴。しかしその数も秒刻みで掻き消えていった。
作戦を開始してから僅か30分後。――――――そして、それは最期の連絡となった。
「メーデー、メーデーッ!緊急事態だ!至急応援をもと……ぐぷぁ……うぐぉ――――――――」
『おい、ホーク1、一体どうしたんだ!?状況を知らせろ――――――』
ピ―――――――――――――――――――――
不快な水音と共に部隊との連絡は途切れ、後には言いようのない不安と無力感が残された。
「―――――クソッ!」
指揮官はヘッドセットを頭から外し、硬質な机へと力任せに叩き付けた。これで外界へ送った「Shields-シールズ-」の全員と連絡が付かなくなった。
「―――――ッ、一体外で何が起こっていると言うんだ!」
額に玉の汗を掻き、頭を硬質な掌で抱え、自分の下した判断と現状把握能力をひたすらに呪った。
この作戦に注ぎ込んだ戦力は第三都市の保有する『Shields-シールズ-』の8割にも及んだ。しかし、成果を上げることは叶わず正体不明の敵は徐々に都市へと接近しつつ在る。
遅々としてはいるが、時間の経過と共に事態はその深刻度を着実に増していった…………