正門では十数名の生徒が疎らに下校しようとしていた。その足取りは何故か重々しく、見ている者を不安にさせる何かを秘めていた。
寮生ならば食事も学食で無料で済ませることが出来るため、学園内から出る理由は遊び以外殆ど無い。加えて雲行きも怪しく、寮で決められた門限も近いため、今から遊びに出かける者も少ないのだろう。故にクレイズは彼らを自宅生だと予想した。
本来ならば寮生であるエミリアも殆ど学園から出る必要は無いのだが、「寮の学食じゃ味気無いから、私がお姉ちゃんに美味しいもの一杯食べさせてあげるね!」と甲斐甲斐しく姉の世話を焼きたがりその材料を買い集める為、外出の頻度は普通の寮生達よりも高かった。
クレイズが自宅生達の横を走って通り過ぎようとした時――――――
「――へっ?」
クレイズはその内の一人の生徒に強引に腕を捕まれバランスを崩し、危うく転びそうになった。
「――クレイズ……ハートレッド?」
目の前の茶髪ショートカットの女子生徒に表情は無く、その目は焦点が定まらず、瞳孔を開いているように虚ろだった。
周囲にいた生徒たちも立ち止まり、光を失った目でクレイズを凝視する。
クレイズは女子生徒の手を振り払うため、腕に込める力を強めた。
「悪いけど、今急いでるん……」
「――あなた……クレイズ・ハートレッド……ですね?」
クレイズは尚も離さない女子生徒に対し半ば諦めたように肩をすくめた。
「ハァ……えぇ、そうよ!だったら何よ?」
「――なら、ここを通すわけにはいきません」
いきなり女子生徒の声色が、全く違う女性のものへと変貌した。
―――――ゾクッ
その時、何か不快な威圧感のようなものが目の前の女子生徒の背部から感じられた。
「……あなた達、普通じゃないわよ」
「エミリアちゃん?……は私達が貰って行くので、悪く思わないで下さいね」
虚ろな表情のままその女子生徒は答えた。暗い表情と淡々とした喋り方が対照的過ぎている。
「喋っているのはこの子の意志じゃないわね。あなた……一体何者?」
「あははっ、そんなの、簡単に教えるわけ無いじゃないですか」
クレイズは掴まれていた腕を勢い良く振り払い、眼前の少女を睨み付けた。
「アハ、酷いですねクレイズ・ハートレッドは……依代にそんな暴力振るっても意味が無いんですよ?」
「なら行動不能にした後で、後日その子に謝罪するわ……」
「へぇ……本気ですか?容赦が無いんですねェ……気に入りましたよ……貴女のこと」
クレイズは渾身の力を振り絞り、地面を蹴り、砂を後方へ散らし加速した。
同時に、周囲にいた多数の生徒が一斉にクレイズに掴み掛かった。
――――多少の痛い目にあっても、許してね……。
十数人もの学生を振り払い、逃走劇を終えてから20分後が経過していた。
一通り街中を捜索してもエミリアを見つけることは叶わなかった。
上方を見回しても広告用の奇抜な立体映像が浮かんでは泡のように消えて、また繰り返し再生して往くばかり。自分の無力さに苛立ちを募らせ始めていた。
―――――――ッ!
クレイズは立ち止まり、エミリアが一番行きそうな場所を再考した。
しかし、焦りが思考を鈍らせる。落ち着いて考えを整理する余裕は、もはや無かった。
――どこにいるのよ、エミリアのやつ……もしかしてもう……
クレイズは頭を振って走りだした。何かに追い立てられるように、何かを追い求めるように。
――いや、必ず見つけ出して、あらゆる障害から守り抜いてみせる。今はたった二人の姉妹なのだから――
駆けている途中、学園の方向から爆発音めいた音が聞こえてきた。
――やっぱり、今日は何か悪いことが……。
クレイズは学園で何が起こったのか逸早く知るために、奥歯をぎゅっと噛み締め速調を上げた。
この騒ぎで警備用魔導兵(オーディネーター)も事態の収拾ために動き出すだろう。あの力なら、死人を出さずに事が収まるのも時間の問題だ。
だが、エミリアが学園外に居るのならその範疇には含まれない。勿論学園外にも魔導兵は配置されているが、学園内とは広さが桁違いな為、配置された魔導兵だけでは住民の安全を100%保証することは出来ない。
クレイズ自身には、大抵の事が起こっても自分で対処できる力がある。いや、あると信じたい。だがエミリアは違う。彼女は歳相応の少女なのだ。だから自分が、何としても守らなければ――
◇◇◇◇
その10分後、買い物を終えたエミリアは鼻歌まじりに片手に買い物バックを下げ、帰り道をポツポツと歩いていた。
時間が時間だけあって、いつもより大通りの人影は激減し、ほぼ皆無だった。
あと30分もすれば家に着く。もう少し早歩きで帰れば、雨が降る前に帰れるだろう。
『――って言ったら、そしたらお姉ちゃん、なんて顔するのかなぁ……ふふっ。』
エミリアは明日に控えるクレイズの誕生日をどう彩ろうか、様々なアイデアを想起させていた。
その時、少し前方に見える燃えるような紅色を発見した。それはこちらに向かって近づいてくる。
『――よし、少し早いけど、丁度良いし、驚かせてみよっと!』
「おーい、お姉ちゃーん!どうしたのーっ?」
するとクレイズは心の底から安心したように微笑み、こちらに向かって一直線に駆けてきた。
エミリアも愛しい姉に向かって駆け出そうと足に力を込める。
だが、エミリアの意志に反し、自らの体は少しも動かなかった。
――ん?
前方を見れば、目の前まで迫っていた姉が何かを叫ぼうとしていた――
◇◇◇◇
クレイズは捜索範囲を広げて、エミリアが遠くで一番行きそうな場所……とあるショッピングモールへ行く途中だった。
数分間走ると、少し遠くに、人影の絶えた大通りを歩いているエミリアをはっきりと見て取れた。丁度、信号機が青色を呈し、広い横断歩道を渡っている時だった。
向こうも自分の存在に気付いたようだ。ただそれだけのことが嬉しくて、深い安堵感に包まれた。
「おーい、お姉ちゃーん!どうしたのーっ?」
クレイズは心の底から安心し、笑顔で駆けてゆく。
――――――――ッ!
しかしその時、妹の周囲に透明な煙のような―――――いや、ヒラヒラとした無色の布のようなモノが存在している事に気付いた。
透明なソレから見て取れる向こうの景色は、まるで汚れたレンズを通して見た時のように醜く歪んでいた。
クレイズは瞬時に何かを感じ取り、遠方に佇む妹に、逸早く危険を知らせる為に叫んだ。
「エミリア、こっちへ走ってーーーーッ!」
―――その瞬間、高圧の電流が大気を叩き割る、絶縁破壊じみた不快な高音が周囲に放たれると同時、その上方から、布のようなヒラヒラとしたモノが色見を帯びていった。
最初、それは漆黒の煙のように思えた。
上方から、まるでプリントアウトされていく様に鮮明に色が書き足されてゆく。
ジジッ、ジ……
布は表面から数センチメートルまでの距離に電流を迸らせている。
そして数秒後、放電は止み――――――ソレは人の形をしていた。
姿を現すと、ソレはフードを深く被った黒いローブのような、コートのような外装で総身を覆い隠した二つの人影だった。
頑丈そうな厚手の布地に黒いブーツと黒いグローブ。その全ては漆黒に包まれており、正面から相対しても、表情は疎か皮膚の色さえ垣間見ることは出来ない。
ただ、その内側から放たれている圧倒的な殺気だけが、眼前の存在が少女を脅かす危険な存在だと告げていた。
その二人の黒コートは、エミリアの左右に一人ずつ張り付いており、未だに無言を貫いていた。
「――――――へ……?」
目の前の妹の顔にサッと、恐怖の色が宿る。
エミリアはようやく自らが置かれた状況を理解したようだ。だが、何か行動を起こそうにも黒コートに両側から堅く掴まれていて動くことはままならなかった。
「お姉、ちゃん……助け……」
愛しい妹の表情は笑顔から一転、恐怖の色に塗りたくられ、消え入りそうな悲痛な声を眼前の姉へと向けた。
「タイセツナモノヲ、マモレナカッタコトガ、ソンナニクヤシイカ?クレイズ・ハートレッド」
嘲るように黒コートの一人が声色の定まらない音を発する。まるで変声機に掛けたような、特徴の無い平坦で杜撰(ずさん)な音。
――――――バチッ
怒りと、妹を危険に晒してしまった自らの情けなさに、クレイズの視界に電流のようなノイズが流れる。
「なん………だと………」
「フッ、マァイイ。コレデ、ヨウハスンダカラナ。ソウソウニ、タイサンスルトシヨウ」
嫌がるエミリアを黒コートが無理矢理に抱えて反転し、立ち去ろうと歩を進める。
コツ……コツ……コツ……
まるでいくらでも余裕があるように、ゆっくりと、だが確実に一歩一歩、クレイズから少しずつ離れてゆく…………。
――――――許さない……
――――――――――――赦さない…………
――――――――――――――――――――絶対にッ――――――
クレイズはカッと目を見開いた。次いで渾身の力を込めて真下の地面を蹴り飛ばす。
少しでも……少しでも早くエミリアの元に辿り着く為に、何よりも速く辿り着けるように―――――
この一瞬で最高速度まで加速する為には、空気抵抗ですら邪魔過ぎる。
第三者視点から見たとすると、それは爆ぜるような初動だった。
文字通り、クレイズが風を斬り裂き、空気抵抗を蹴散らしながら突き進む――――愛する最後の姉妹の下へと――――――――
「させるかああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
――――――ッ!?
黒コートの一人が無言で振り返りざまに地面に右の掌を叩き付けると、眼下の影が広がり、クレイズの真下まで伸び、地面から大量に這い出た黒い粘着質のモノが全方位からクレイズに掴み掛かった。
触手のように畝る、液状の影の刺突を―――――クレイズは思考回路を断ち、全てを己の第六感に身を任せ、左右に回避しながら銃弾のように突き進んでゆく。
その鋭敏な方向転換と急加速により、30メートルは開いていた獲物と狩人、両者の空間距離は零へと還る。
「邪魔を―――――、するなァァァァァァァッ!」
クレイズの疾走が地に引いた稲妻型の軌跡はまるで当然のように、愚鈍な影を生み出した黒い人形の宙心に突き刺さった。
「何っ!?」
しかし膨大な運動量が込められた右腕の拳は黒コートの心臓を貫くことはなかった。
結果としてクレイズが突き崩したのは、黒コートが瞬時に足元から伸ばし築き上げた、影で生成された壁の中心の一点。
それは瞬時に塞がり、貫通しているクレイズの右腕を飲み込み、開放することは決して無い。
クレイズの拳が黒コートに届く数センチ手前のことだった。
壁の影は一部液体となり、クレイズを無理矢理地面に引き倒す。
「グッ、クソッ、離せ!このっ」
黒影が体に張り付くと、まるで力が抜けていくようだった……特に体内魔力循環系への負荷が恐ろしく高いのか、魔法を行使することができない……
「ヒトヒトリ、マモレナイトハナ……キタイハズレダヨ。クレイズ・ハートレッド」
黒コートのあざ笑う声が周囲に反響する。
そのまま黒コート達はエミリアを無理やり肩に抱えて、クレイズから遠ざかりながらもまた自身の存在を希薄化させてゆく。
それに侵食されるように、エミリアもまた、色を失い透化してゆく。
クレイズは影に掴まれながらも、力の入らない全身に鞭を打ち、必死で叫んだ。
眼前の妹に向けて、決して破らない誓いを己の心に突き立てる為に――右手を伸ばして――
「エミリアァァァァァァァァァァッ!待ってて……必ず、必ず助け出してみせるからッ!」
エミリアはその体を中半透化させながら、しかし目の前の姉を、堅く信じ抜くと誓いながら――自らも右手を伸ばし――
「お姉ちゃん…………うん、…………私、待ってる。絶対に信じて、待ってるから!必ず……必ず助けに来てね…………」
エミリアは最後に、勇気を振り絞って笑顔を向けた。目前の愛しい姉に、少しでも、ほんの少しでも心配を掛けることのないように―――
――待ってるからね……お姉ちゃん……きっと、また…………
可憐な笑顔は涙に融け、その滴は頬を伝い、止めどなく流れてゆく。
「絶対に、救い出すからあああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
最後に、微笑んだエミリアから流れ落ちた涙の粒が直下のタイルに跳ね、虹色の光が悲しく散った。
「くっそおおおオオォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
クレイズは右の拳を力任せに、地面に叩き付けた。
自由を奪っていた影も消え失せ、一人残されたクレイズは、後悔と虚しさに心を打ち拉がれた。
追い打ちをかけるように、時期外れの夕立が空を灰色に染め、悔しさに涙するクレイズの背中を打ち付けた…………。