高等部第三教棟――屋上
その場所は現在まで式典が行われていた大広間と一線を画し、冷風が吹き遊ぶ静寂な雰囲気を醸し出していた。
一人の例外も無く、学園の生徒と教職員は創立式典への出席を義務付けられている。つまりこの教棟に残存している者は皆無の筈だった――――通常ならば。
視界の下端に大広間から吐き出される生徒の群衆を捉えながら、黒色のコートを纏う不埒な闖入者は微かに口元を歪めた。
「この学園のやつら、本当に馬鹿……異常を異常として受け取らないなんて…………」
その声紋には心中を一切悟らせない無機質な冷淡さが宿り、それが黒色の外見と絡み合い異彩な雰囲気を纏っていた。しかしその有り様とフードから覗く僅かな口元が、人影が少女であることを暗に示していた。
「確かにそうねシェリア、でも仕方ないと思うわ。だって『ハイヴェリア』が終結して魔法使い達が統制され始めてから千数百年も戦争なんて無いし、世の中が平和過ぎるのよ。その中で何年も過ごしていたら私達でもきっと堕落するわ。それが人間なら尚更のことでしょう?」
同じ風貌の仲間がその問いかけに答え、冷たい声の調子で自嘲気味にそう呟いた。
「そうかも知れない……でも、私達に有利な方に物事が進んでくれたことには感謝するわ」
「まぁ、それは誰に向けた感謝かしら?」
「勿論、馬鹿な人間達へよ……」
屋上の手摺(てすり)に体重を預けていたシェリアと呼ばれた少女はフードを被り、全身を漆黒のコートで覆ったまま淡白に失笑を漏らした。
彼女の眼前に佇んでいる同じ服装をした少女は微笑んだ。フードから出た一房の、白く長い髪が風に揺れていた。
「どちらにせよ、私たちのやることに変わりはないわ…………」
◇◇◇◇
所々日差しが差す曇り空の下、雨を警戒してか、道を行き交う人はほとんどいなかった。
式典が終わってから、エミリアはお昼の食材の買い足しに街に足を運んでいた。
今はその帰り道である。手に携えている買い物袋の中には昼食に使う食材だけでなく、室内用簡易映像効果機(クラッカー)などのパーティーグッズも入っていた。
その顔には花のような笑顔が咲いている。
「ふふっ、お姉ちゃん、絶対明日が自分の誕生日だってこと忘れてるよね。どうせ、『毎年のことでしょ?それに老化する事をどうして祝う必要なんかあるのよ!?』とか言うに決まってるし…………ほんと、しょうがないんだから!帰ったら驚かせてあげないと……ってあれ?」
少し前方にはクレイズが少し焦った顔で何かを探すように辺りをキョロキョロ見渡しながら、こちらに小走りで近付いて来ていた。
エミリアは心配症の姉が自分を探しているのだろうと察し、とても嬉しくなり、眼の前の姉に向かって声をかけることにした。
「おーい、お姉ちゃーん!どうしたのーっ?」
するとクレイズは心の底から安心したように微笑み、こちらに向かって一直線に駆けてきた―――――――
◇◇◇◇
遡ること1時間前、クレイズ・ハートレッドは記念式典が終わった後、学長室に呼び出されていた。
キングズの顔にはどことなく焦りの色が見えていた。
「クレイズ、気になる噂を耳にしたのだ。この学園の生徒でない不審な人物を複数名、数人の生徒が目撃したらしい。場所は図書館、教室、体育館……様々なところだ。大多数の生徒は気にならなかったらしいが、数名の『感知系』の生徒も不審人物の存在を感じたと言っている。どうも今朝からの機械の不調といい……何かがおかしい。エミリアにも今日は寮から出ないように言ってやってくれ。頼んだよ」
そのまま学長室から追い払われると、パタンとドアを閉め、クレイズは深く溜息を吐いた。
「はぁ、父さんもエミリアが可愛いのは分かるけど心配しすぎよ……もう15歳にもなるのに、いつまでも親にひっつかれてたらエミリアも鬱陶しいでしょうに……よしっ、今度はっきり言おう!エミリアもプライベートな時間くらい欲しいだろうし!」
実際には自分がエミリアのプライベートタイムを一番消費させているということに気付いていないクレイズは独りごちた。
UADバングルを操作し、大気中に学園内の見取り図を投影しエミリアの現在地をGPSで確認する。この操作は都民のプライベート性を保つために誰にでもできるというわけではなく、事前に双方の同意があって初めて互いのUADバングルの設定を行い、両者間に対してのみこの操作が可能となる。勿論位置情報を知られたくない場合は任意にこのGPS検索システムを切ることが出来る。
見取り図に男性は青、女性は赤に着色された人の形のアイコンが表示されている。これはクレイズが今までに知り合った親しい友人や委員会関係の知り合いだ。
画面左に登録していた名前がレティカ・コード(AからZまでの26文字による言語の表記方法)の順に並んでいる。クレイズが今まで登録していた人数は40人程度だが、その中に「Emilia Heartred」の名前を見つけ、それを人差し指でタッチする。
すると現在いる教職棟付近の見取図が北東にシフトしていき、中等部の敷地内の第1教棟3階に赤いアイコンが表示された。
「まだエミリアは第1教棟内か、さすが学級委員長様だわ……」
どうやら教室で何か用事を済ませている最中らしかったので、UADバングルの魔力通信機能を使用する事で迷惑を掛けるのは躊躇われた。
故に「迎えに行くから、中等部第一教棟の玄関で待っててね!」とだけメッセージを送信しておいた。
クレイズは妹と会うために中等部の敷地に足を向けた。広大な敷地を持つ学園内には大通りに転移魔法陣が多数配置されているため、数分もあればその上を歩き、逸早く彼女の下まで辿り着けるだろう。
◇◇◇◇
同時刻、エミリアはクラス委員として、普段はホームルームを行うための教室で担当教員兼美術教師のニコール先生と話していた。
100平方メートル弱の広さを持つこの教室には、現在30程度の機能性の高い机や椅子が規則正しく並んでいる。窓辺からは日光が暖かく差し込み、学生達が勉学に励めるようにと願いを込められた環境が整えられていた。
大半の機材には目立たぬよう各種魔機が内部に組み込まれ機能性が重視されているが、これらは数百年前から構成材質以外殆ど何も変わらない伝統的な外形を保っている。
それは学生同士がより良く、深い友好関係を気付く為にはこのような「文明の発達に逆らってでも変わらない」場所も必要だからだ。最も、この空間以外の校舎内部は現代技術の粋を凝らして設計されているが。
この様な教室はこの教棟だけでも20近く存在し、普段は談話室や休憩室としての役割を担っている。しかし本日は休日であるが故に、教室内の人影はエミリアと教職員の2名だけだった。
目の前の優しげな先生はとても表情豊かで、おっとりとした雰囲気を醸し出している。
本来、担当教員といってもその役割はいつもこの教室にいるようなものではなく、有事の際や何かの決め事の時に許可を出す、そのクラスごとの責任を取るだけの簡素なものだ。
故に生徒達と殆ど会話をすること無く、相互に友好関係を築けていない教員も僅かではあるが存在していることは紛れもない事実だった。
「―――――ということで、私達のクラスでは喫茶店をしたいと思います。」
今、彼女たちが話合っている内容は再来月の文化祭のことについてだった。
「ふふっ、確かにこの御時世、ただの喫茶店なら必要ないかもしれないけどその案は面白いかもしれないわね!……分かりました、許可しましょう。何か私の方で用意するものはある?」
「いえ、生徒による文化祭なのでこちらで全て準備できますが……」
だが、幸か不幸か教師陣の中でもニコール・シュミットなる若手の先生は必要以上に生徒達と接するのが大好きな人柄だった為に、
「んん~、ダメよ!先生を除け者にしようとするなんて~っ。何か手伝わせて~、仲間に入れてよぉ~!」
と自ら進んで生徒達の世話を焼きたがる事もしばしばだった。
そんな朗らかな先生を前にエミリアは優しく微笑んで、
「先生がそう言うだろうと思ってちゃんと用意はしておきました!では、学校の各所に配置する予定の立体映像広告を―――――」
と趣向を凝らし文化祭を盛り上げるべく、ニコール先生との打ち合わせを続けた。
――――――――。
そんな少し長引いた会話の後、エミリアはクレイズが待っているであろう寮へと帰ることにした。現在の時刻を見ようと右手のUADバングルを起動させようとする――が、矢張り起動しない。
彼女のUADバングルは今朝から調子が悪く、その機能の大半を損壊させていた。その為、頃合いを見て修理申請を出そうとしていたのだが、先生との話が盛り上がり過ぎて忘れてしまっていた。
今から中等部に戻ろうとしたが、既に結構遠いところまで来てしまっていた。――まぁ、明日でもいっかぁ……
そんな逡巡を寮への帰宅途中に数秒間続けている内、思考は姉の待っているであろう夕御飯へと少しずつシフトしてゆき――
「あっ、冷蔵庫の中は空っぽだっけ……今日の夕食のためになにか買っておくべきよね。それに今朝で切らしちゃったシロップもあったし……ふふっ、ホイップクリームも買っておいてあげよう!明日はお姉ちゃんの誕生日だし!」
エミリアは上機嫌で少し遠いが良質の食材を置いている食料雑貨店へと向かった。
◇◇◇◇
―――――エミリアが学園を出て5分後
「あれ……おかしいわね。教棟からは出たはずなのに……」
あれからクレイズは反重力エレベータに乗り、一度エミリアの教室を覗き、偶然出くわした彼女の友人から入れ違いに妹が帰ったことを聞いて自分達の寮へと帰ってきた。
女子寮の見かけと内部構造はホテルのような十二階建て構造になっている。自動ドアを入ると絨毯が敷かれており、正面にフロントが見え、左奥には階段と大型エレベーター、右奥には食堂が広がっている。
全室が二人用となっているが、魔法効果で空間拡張され、内部に入ると二階建ての一軒家のような構造になっており、一階はリビングとシャワー、キッチンなどが完備され、共同で使う空間となっており、二階は三部屋あるが、1つが物置に、2つが各自の個室となっている。
エミリアは普段、帰宅すると律儀にその日の勉強の復習をリビングで始める。だから今日もリビングに居ると踏んでいたのだが……
帰宅して玄関を開けた瞬間に電灯が点いたことから、やはりエミリアはまだ帰宅していないようだった。
「エリスなら何か知ってるかしら……」
クレイズはそんな思い付きから全ての部屋を一応訪ねて回った後、玄関を出て、斜め向かいに位置するエリスの部屋のドアをノックした。
普段ならUADバングルの簡易通信機能を使うのだが、何故かその時は親友と直接会って話をしたかった。
「エリスー、いる?」
一抹の不安を消し去る様に、返事はすぐに帰ってきた。同時にドアが機械的にスライドする。その奥からエリスが艶のある髪を揺らしながら出てきた。
手にはマグカップを持っていて、厚手のジップパーカーにショートパンツの姿だった。
「んっ?どうしたのクレイズ?ちょっと表情が暗いわよ?今紅茶を入れたところなんだけど、少し上がってく?」
エリスの何事もないような顔を見てクレイズはなぜか内心少しホッとした。クレイズは首を振り答える。
「いいえ、今はやめておくわ……ねぇエリス、エミリアが今どこにいるか知らない?」
「んー、ごめん、私は知らないわ。GPSは確認したの?」
「それが少し前からUADバングルの調子がおかしくて……」
「……ちょっと待ってね、今私もやってみるから」
それを聞いてエリスはUADバングルのGPS機能を試した。しかしレルネシア学園の見取り図が立体表示されることはなく、立体画面にはNo Signal__の文字。
「あらら、確かに使えなくなってる……衛星が帯磁デブリにでも巻き込まれたかな……」
「でも、そんな事って今までにあった?」
「あまり聞いたことないわね。だって今私達がGPSで使ってる人工魔導衛星ソルスは中核にクリスタルを埋め込んでて、表面に魔力防御層を敷いてるからデブリが当たったくらいじゃそうそう壊れないし、それに電波じゃなくて今は魔力波長を用いた情報送信を行なってるから障害物も関係ないし……だからGPSが使用不可になるなんてこれが史上初なんじゃないかしら?」
「いつになったら復旧するのかな……」
少し寂しそうなクレイズの顔を見て、エリスは左手の人差し指を顎に当てて少し思案した後、
「んー…………あ、ねぇ、クレイズ!……ってアレ?話の途中で勝手にいなくなるとは……どれだけエミリアが心配なのよ……」
クレイズは音も無く、いつの間にか姿を消していた。
何か胸騒ぎがしてならなかった。親友のエリスに何か助けて欲しかったけれど、こんな確証も無いことで振り回したくはなかった。
一緒に住んでいる部屋に帰ってもエミリアの姿は見つからなかった。GPSで探すことも、魔力通信機能を使うことも出来なかった。
「どこ行ったの……エミリア……」
―――ッ!?
その時、悪寒とも呼べる何か嫌な感覚が背筋から後頭部へ走り、クレイズは学園から出るために正門へと走った。
「―――――考え過ぎならいいけど……」