―――――――――23:35
周囲の色は白一色に染められ、肌に接触する硬質な壁と研磨された鉄は冷たく、局所的に体表面から温もりを奪ってゆく。
その場所は牢獄と称するには手入れが整っており、宛(さなが)ら鳥籠のような一室だった。
壁で取り囲まれ、魔力素は完全に排斥され、正面から鉄格子で蓋をされた部屋。それが研究室のような大きな空間の片隅に設けられ、故に籠の中から外界に話し掛けることは禁じられていなかった。
無機質な檻の中に閉じ込められ、突然訪れた悲劇を前に最初はただ泣き崩れるばかりだったが、数時間もの刻が経過する頃には涙も枯れ果て、体力も憔悴し切っていた。
この部屋に連れて来られた直後に一人の黒コートに遠距離からモニタで簡易身体検査(スキャニング)されてからは、他に自分の元を尋ねる者は現れなかった。
黒コートが部屋を立ち去る寸前、自身が何の為に連れて来られたのかを涙声で問い掛けたが、当然のように返答は皆無だった。
故に今、この心の中には寂しさや悲しさ、負の感情が渦を巻いている。だがその中心には期待と信頼、希望が確かに存在した。
――――――――――お姉ちゃん…………私、信じて待ってるから…………必ず、助けに来てね…………。
潰(つぶ)れそうな心を必至で堪えたエミリアは気持ちを一新する為に、黒コートに支給された清潔な薄手の白い服と下着に袖を通した。
服を脱いだ時、普段から白い自分の肌が心労の為か、より一層透き通って視え、少し気分が悪くなった。
制服を丁寧に折り畳み、部屋の角に位置するベッドの傍の机上に置き、最後にツインテールを結っていた髪紐をそっと添えた。
泣き疲れた為、現実を夢で塗り潰そうと寝所に向かおうとした時、遠方のドアがノックされた。
ビクッと体が硬直し、何も応えないでいると数時間ぶりにそのドアは開かれた。
「――――――――――――起きていたのか」
その声の主は見覚えのない男だった。身長は高め、寡黙な雰囲気を醸しだしており、動きに一切無駄が感じられなかった。
服装は全体的に黒々としていたが、リエニアおける正装着と形容するには足るものだった。
それがどうと言う事は無いがただ、エミリアは若干、義父であるキングズ・グローリーに似た雰囲気を何処と無く感じ取っていた。
紅髪の少女は恐縮し、自らの腕を抱いて立ち竦(すく)んでいた。
「――――――――フッ、まぁ怯えるのも無理は無いがな……これだけは言っておく。信じるも信じないもお前の勝手だが、大人しくしていれば危害を加えるつもりは無い。別段、そういう趣味は持ち合わせていないのでな。手荒な攫い方をして悪かった……とでも言っておこうか?エミリア・ハートレッド。」
自嘲気味に語る眼の前の男は信用するに足る人物なのか、それはまだ解からない。少なくとも、エミリアの目には嘘を言っているようには視えなかった。
だが、彼女を家族の下から引き離したのはこの男の仲間であることには変わりは無い。その点において、エミリアの心に怒りが湧き上がり、無け無しの体力を振り絞って叫んだ。
「じゃあ今すぐ帰してッ!私を家に帰してよッ!お姉ちゃん達のところにッ!」
「…………悪いがそれは出来ない。お前は俺の目的にとって不可欠な存在だ」
鉄格子を介して向かい合った男の表情は冷淡そのものだった。機械にも似た淡白さ、冷徹さが感じられる。そこからは自信、期待、絶望、諦め、信念、愛……様々な感情が混濁し合っていることが伺えた。
この男には最早何を言っても意味を成さないのだろうと、眼前に提示された絶望感と共にただ、頬を涙が伝い、無機質な白色の床に跳ねた。
「そこまでして叶えたい目的って何なのッ!?」
「―――――――そう焦るな、すぐに解かるさ……すぐにな。…………それにもう、子供は寝る時間だ」
―――――――それは流れるような、一切の悪意も含まない、単純な動作だった。
鉄格子に肉迫した自分の頭の上には、ポンと、男の掌が置かれていた。心なしか、男の表情にも一抹の優しさが含まれているように感じた。
それを拒む時間は無かった。だが、かと言って拒む時間が与えられていたならその手を振り払っていたかと問われると自信は無い。
ただ、その動作、その手に或る種の懐かしさを感じたことに否定はできない。
一瞬だが、遠い過去に忘れ去られた記憶を突かれるような感覚に、懐古に似た心地良さを感じた。
それが何であるかは解らない。エミリアは自信の脳内に燻(くすぶ)る思考に困惑していた。
男はそれから直ぐに、無言のままに室内から立ち去った。
紅髪の少女は頭を振り、思考を霧散させ、寝所へと倒れ込んだ。
―――――――――もういい……早く寝よう。
そのままエミリアはゆっくりと、深い眠りの中へと誘われていった。