あの鋭利な回転鎌は自分の腹を貫いて彼方へと消えた。
両断され、2つに散らばる自分が脳裏を過ぎる。
「――――――――――。」
目をぎゅっと瞑り、体を硬直させる。
追って飛来するであろう凄まじい激痛に、クレイズは心を構える。
もう既に、死は起きてしまったことなのだから。
――――――――――――。
「…………んっ?」
しかし、立ち止まって数秒が経過しても、痛みも感じなければ体が真っ二つに切断されることも無かった。
自分を通り抜けていった大鎌はジュワッという音を立てて白い霧となり、霧散して大気中に消失した。
足の力が抜け、ふらふらと二人の少女はその場にへたり込む。
「なん……で……」
二人を追っていた左右の狼たちは何かを感じたのか、二人の直前で急停止した。まるでそこに見えない壁でもあるかのように。
しかし加速し過ぎて止まり切れなかった一匹の白骨狼は、その境界を超えた。
途端、蒸気のような霧が体から立ち上ったかと思うと、そのまま骨の体は倒された時のように高密度の霊体を吹き出し、大気中に消失した。
自分たちの手前で狼たちは悔しそうにグルルルと唸っている。
「ハァ、ハァ……。出口が近過ぎるから、霊森の効果が弱まって、霊体濃度が保てなくなったんじゃないかしら……」
ユリアが思い至ったように傍らのクレイズに呟いた。
「はぁ……はぁ……なるほど、あの骸骨公(スカルハンター)の武器も、高密度の霊体で、構成されていたから……私の体を通過した時には……霊体密度が低下し、斬られなかったわけね」
まるでホコリでできた剣で斬られたみたいね、とクレイズは言った。
「ちょうど此処がその、クルス霊森の影響が、薄くなる地点だったのね。」
クルス霊森はその核である神木を破損した事により、霊体への蒐集力を大きく減衰させていた。
先のギルドの戦いで神木が切断されていなければ確実にクレイズは死を迎えていただろう。
急激な霊体濃度の低下により、ユリアは仲間達の誰かが霊体負担領域の核を破壊していたのだと思い至り、再び感謝の念を空へと向けた。
すぐ近くまで追って来ていた骸骨公は外套をはためかせながら身を翻し、スカルハウンド達を伴って森の奥へと消えて行った。
「よし……少し休憩したら、ノルクエッジのところまで移動しましょう」
腰を落ち着けている間、二人は首の皮一枚で繋がった互いの命を賞賛し合った。
◇◇◇◇
――――クルス霊森からの脱出を果たし、腕のUADバングルを見ると、時刻は午後10時37分。
命を賭けた脱出劇を終え、二人はヘトヘトになりながらもユリアとオッヅのノルクエッジを停車させた場所まで歩を進め、今後の計画について話し合っていた。
「さてと、少し休んだらまたあの地獄に戻らないと行けないと思うと胃が痛くなるわね」
ノルクエッジの座席下の収納スペースに保管されていた食料、飲料をユリアに分けて貰い、クレイズは近くの木の根元に背中を預けながら腰を落としていた。
「何なら私一人でもまた森に行くに行くわ。だって、これは私の戦いだから。これ以上、貴女に迷惑は掛けられない……」
本気で一人でも行ってしまうかのようなユリアの表情を見て、クレイズは慌てて訂正した。
「ユリア、冗談よ冗談!それにどうやってあなた一人であの骸骨公(スカルハンター)の霊体障壁を剥がすの?先に言っておくけど、付いて来ないでって言われても私は付いて行くわよ。一人で貴女を行かせて死なれたんじゃ、寝覚めが悪いもの。それに、乗りかかった船だし。最後まで私に見届けさせてよ、貴女の決意も……貴女の誓いも…………」
そうクレイズが言うと、ユリアは一度頷いて手のひら程の大きさのスプレー缶を一つ、相棒に向かって放った。
それをクレイズが慌ててキャッチする。
「おおっと……これ、何?」
「魔力素吸収促進剤(アブソーバー)よ。素肌に掛けておいて……魔力素の皮膚吸収率が上がるから。多分、一般人なら一時間ほどで大体8割位、体内魔力貯蔵限度量(ストレージ)が回復するわ。」
実際のところ、クレイズがこのスプレーを使用しても即席の効果は薄いのだが、自分のことをどこまで話していいのか分からず、黙って使っておくことにした。
『今私の事情を説明しても戸惑うだけだから……話さない方が良いわよね……今はまだ。それに都市に帰ったら、すぐにこの子ともお別れだと思うし……』
「ありがとう。早速使わせてもらうわね。」
ユリアはノルクエッジにもたれて、クレイズは座ったまま、絹のような白く水潤な素肌にスプレー掛けながら、次の話題を探した。
「さっきの話に戻るんだけど、クレイズ、あなたはあの霊体障壁を無効化する方法、思い付く?」
クレイズは右の人差し指で頬を掻き、少し恥ずかしがるようにして応えた。
「一度だけなら……たぶん……。」
ユリアは目を見開いた。一番の難題がこれほどまで直ぐに瓦解するとは夢にも思わなかったのだ。
「……へ?クレイズ、どんな方法なの!?教えて!」
ノルクエッジから腰を離し、クレイズの目の前まで近寄ってきた。
今までの冷静さ……もとい、仲間を失い、出逢ってから今まで悲壮感を身に纏っていたユリアの変貌ぶりに少し驚いた。
恐らく、これがユリア本来の明るさなのだろう。いつの日にか、仲間の死を乗り越え、このユリア本来の明るさを取り戻して欲しいと、クレイズは切に願った。
「え……ええ。詳しくは言えないんだけど、一度だけなら私の魔法であの障壁を突破する自身はあるわ……一度だけなら。」
ユリアは右手を顎に添えて少し頭を巡らせる。
「一子相伝の秘術だから教えられないってこと?……まぁ、良いわ。でも覚えてる?アイツの霊体障壁は周囲に拡散して魔法の設計図というべき魔法陣から消してしまうのよ?」
少し困惑した表情を見せるユリアに、クレイズは右の拳を握り、ゆっくりと頷いた。
「そうね……正直一か八かの賭けよ……でも、私にはこの方法しか思いつかない。ユリアはどう?……何か、いい考えある?」
ユリアは再び立ち上がり、すぐ近くのノルクエッジに体重を預けながら答えた。
「そうね……私が持っている全ての爆薬を使って力任せに吹き飛ばすくらいかしらね。でも、それなら敵を森のギリギリ外側まで誘って、爆風で一気に叩き出した方が良策かもしれないわ。」
二人はそれから様々な思案を巡らせたが、結局、良案は出ず、先ほどの作戦を起用することとなった。
「……まぁ、仕方ないわ。プランAは爆風で敵を森外への追放。プランBは魔法で霊体障壁無効化後に生身を叩くことに決定ね。拙い作戦だけど、何としても私は……ここで仲間の仇を討つ。たとえ刺し違えてでも……この日、この場所で失った仲間の無念は、この夜天が開けるまでに晴らすわ……必ず。」
ユリアは頭上に展開している、どこまでも果てしなく続く広大な星空にその想いを乗せ、祈りを込め、両手を胸の前でそっと重ね、目を閉じて呟いたのだった。
「そういえば、まだ私達のこと……クレイズに話していなかったわね……。」
そしてゆっくりと、ユリアは目を開いた。
「思い出すのが辛いなら、無理に話さなくてもいいのよ?」
長く美しい銀髪が風に薙ぐように、左右に穏やかに揺れる。
「うぅん、聞いて欲しいの……私達のこと……これから助けに行く、仲間たちのことを……。できれば貴女にも、胸にとめておいて欲しいから……」
それからユリアは流れるように、口ずさむように、仲間たちとの出逢い、いくつもの思い出をクレイズに語った。
ギルドのメンバーを一人ひとり丁寧に、時間を掛けて語った。
優しい声の調子で、『GunSlinger-ガンスリンガー-』という、家族への想いはクレイズの心奥に積まれてゆく。
時間の流れ、紡がれる言葉。
スルリと、頬を伝う透明な滴が一粒流れる。
それは止めどなく双眸から流れ続け、夢の軌跡を優しく洗い流した。
「はぁ……こんな感じかな……私達の出逢いから、今日までの長い……でも、とても短かかった物語は」
ユリアは流れた涙の軌跡を手の甲で拭った。
「良い、家族だったのね……」
「うん……だからわたしは、あの子達に謝って、解放してあげたいの……一秒でも早く……」
全てを聞き終え、彼女のギルドがどれほど固い絆で結ばれていたのか、心の琴線に痛いほど強く伝わった。
クレイズ自身もその場に立ち会っていたかのように、思い出が紐解かれてゆく都度、己の懐古心を揺さぶられていた。
大切な仲間を守る為ならば、例え自分がどれだけの負債を請け負おうとも厭わない。
それが『GunSlinger-ガンスリンガー-』の信念であり、結束力の源だと銀髪の少女は話していた。
ユリアと出逢った時のことが思い出される。全てはあの瞬間、既に答は示されていたのだ。
彼女は全身血塗れながらも、致命傷を負ってはいなかった。
つまりあの血液は身を呈して仲間達が彼女を―――――ユリアを守ろうと奮闘して飛散した返り血なのだろう。
故に今、ユリアの中には多くの感情が渦巻き、悲しみも憎しみも恐怖も撹拌(かくはん)されて存在しているに違いなかった。
彼女は真っ直ぐにクレイズの目を見据え、想いを全て、その宝石のような瞳に内包した。
「クレイズ……聴いてくれてありがとう……仲間達の祈り、必ず遂げてみせるから……」
11月の、冬の訪れを感じさせる冷たい夜風が、まるで母が子の頭を撫でるかのように、二人の少女の長い髪をサラリと解いていった―――――