自作小説

【第1部第1章20節】Crisis Chronicles

 「――――――――ユリアッ!」

 硬質な衝突音が鳴り響き、先ほどユリアがスフィルと呼んだ人骨はクレイズの一蹴により数メートルの後退を余儀なくされる。

 察するに、骸骨公によって殺されたユリアのギルドメンバーなのだろう。

 ただでさえ己が守るべき仲間を死なせ、ユリアは果てしない後悔と絶え間無い苦悩に取り憑かれている。

 そして今、その傷口に泥を塗るかのように、大切だった者達の残滓さえも、敵の手中に堕ちている。

 ならば、それ故に冷静な判断力を失った彼女を誰が責めることができよう。

 クレイズ自身、今までに自分が失った、自分から遠退いていった大切な人々と相対さなければならない状況に放り込まれれば、どれだけの苦悩に苛まれるか正直、想像もできない。

 現時点において、自分の眼前に提示された選択肢は3つ。

 1つ、人型の敵はクレイズが倒し、狼型の敵はユリアが倒し、今ここで何としても終止符を打つ。

 2つ、敵を倒すことは諦め、ここはユリアの手を引き、逃げの一手を選択する。

 3つ、ユリアを戦力外とみなし、クレイズ一人で敵へ立ち向かう。

 冷静に考えるなら、ここは不確定要素を孕んだ複数の敵と戦うという選択肢は真っ先に捨てるべきだろう。

 しかし、ここで逃げたところで逃げ切れることが約束されたわけではない。いずれ徐々に追い詰められ、全滅するという可能性もある――――いや、そちらのほうが圧倒的に高確率だろう。

 敵は嘗てこの森を縦横無尽に駆け巡り、狩猟を行なってきた狼たちだ。この森の構造はさも鮮明に熟知していることだろう。そのような者達と鬼ごっこをするには、ハンデがいくら有っても足りないことは明白。

 だが、今のこの状況は完全に詰みの状態だ。

 周囲を白骨狼(スカルハウンド)に囲まれ、陣の内側には骸骨公(スカルハンター)と人骨兵と白骨狼が入り乱れている。

 結局、クレイズ・ハートレッドが選んだ選択肢は架空の、4つ目のものだった。

 戦うか、逃げるか、片方だけではない。まず10分間を要する森外への逃走を図った後、ユリアたちのノルクエッジの積荷で十分な補給を行ってから再び戦場へ侵入し、片を付ける。

 これがどれほど難しい行為なのか、クレイズ自身が身に染みて理解していた。

 慣れない道程での先の見えぬ困難な逃避行に加え、魔法も銃弾も歯が立たない霊体壁を纏った敵を倒さねばならないのだから。

 ―――――しかし、成さねばならない。

 ユリアのトラウマを打ち砕く為にも、この魔物がこれから起こしうる悲劇を未然に防ぐ為にも。

 「よし、ここは一度、森の外へ出るわよ」

 ここで戦わねばならないと、完全に思い込んでいたユリアはハッと顔を上げる。

 「……へ?」

 「このままじゃユリアも戦えないでしょ。まずは落ち着いて作戦を練りたいの。」

 「――――――アレから逃げ切ろうだなんて……バンダースナッチから逃げ切るようなものよ!?」

 「……それでも、私達に選択肢なんて無いわ!」

 それでは最初から立ち止まらずに走り抜けば良かったのではないか、しかしあのまま息も切れ切れに遁走していれば道中で白骨狼に幾度と無く奇襲され、傷を負い、体力も無い状態で出口直前で骸骨公に追い詰められていただろう。

 そうなれば、二人の少女の命は確実に奪われていた。故に、あの瞬間のクレイズの第六感に依る行動は正解には至らないが及第点以上には値するといえよう。

 だがクルス霊森の出口まで残り10分の疾走を必要とするこの現状、次の一手をどう手繰り寄せれば良いのか、最善の策は未だクレイズの頭に浮かんでいなかった。

 敵に囲まれている状況では、まず包囲網の突破をしなければ逃走自体が困難を極める。生き残る為に、彼女達には現状を打破する戦略が必要だった。   

 ユリアに近付いてゆく敵を自分の方へ誘導し、僅かな動きで華麗に攻撃を避けてゆくクレイズ――――――ユリアは彼女の方を見やった。

 『――――――。』

 刹那、様々な角度からの攻撃をまるで清流でも受け流すように避けてゆくその姿を美しいと思った。

 まるで未来を見ているかのように相手の攻撃をさも当然のように回避してゆく。

 それは常軌を逸した戦闘センスの賜物。本来なら極限状態に自分を追い込み、長期間を過ごすことで身に付けられるような第六感。

 それを17歳の少女は現実の戦闘でやって退ける。

 どうやって、彼女はあれを身に付けたのだろうか。

 ――――今は詮索は無しにしよう。今のこの状況に集中しなくては。

 ユリアは頭を振り、雑念を追い払って、敵の細部までを注意深く観察した。   

 ふと、白骨狼達の体表面に残る、とある共通点に気付いた。

 「…………あ、れは」

 それに気付くと、ユリアはハッと目を見張った。

 すべての骸骨が、体中に傷を負っている――――手に、足に。弾痕に、斬痕。これは恐らく、『GunSlinger-ガンスリンガー-』が奮闘した末に付けた傷だ。

 実際に自分が相見えた敵の数でさえ40は超えるというのに……作戦開始から合流することが出来なかった7人の分も勘定に入れるとすれば、この十数時間の内で私達が戦った数は百体近いのかもしれない。

 今が殺し合いの真っ只中だということは解っている。――――――痛いほどに、解っている。

 しかし、やはり思い出してしまう。少し前まで、共に語り合い、笑い合っていた仲間達のことを。

 ―――――仲間が倒し切れなかった残敵がここに集結しているとしたら……他の仲間達はもう…………でも、

 『みんな……みんな、頑張ったんだよね……辛かったんだよね……でも、それ以上に、とても悔しかったんだよね……』

 涙ぐみながら、周囲を取り巻く人骨の傀儡を見ると、どれからも後悔、無念という感情がありありと自分の胸中に伝わってくる。

 『すごく頑張ったのに、仲間の仇なのに、それなのに、死んだ後もその仇にいいように使われていることが、とても悔しかったんだよね……』

 今まで何年間も一緒に居たから痛いほど伝わる。仲間の気持ち。後悔の念。

 ずっと、生き残った私は一人で塞ぎ込んでいた。リーダーとして、仲間をあらゆる困難から守り切れなかった自分が情けなかった。

 あの時、ルイが殺された時、必ず仇を取ると誓いながらも、私は結局一人で懺悔することしかせず、仇を取る為の段取りなんて考えることが出来なかった。

 でも、そんな満身創痍の自分の前に、クレイズが現れた。

 出逢ってからほんの少しの時間で、なんだか、昔からの仲間の一人だと思えるくらいに親しみ易かった。

 私を何度も守ってくれた。何度も何度も、この足手纏いの為に、自らの身体が……例えどれだけ傷付こうとも…………

 ――――そうだ。私はこんな……こんなリーダーになりたかったんだ。

 ――――あぁ……私にとって、彼女はこれほどまでに眩しい……眩しすぎるよ、クレイズ…………

 「ユリア、危ないっ!」

 ガルゥと、一匹のスカルハウンドがクレイズの防衛ラインを突破して、ユリアを先に殺そうと猛スピードで駆けてきた。

 そして造作も無いように、上空へ飛び上がり、ユリアの頭部を上方から噛み付こうとする。

 周囲のスカルハウンド、奴隷にされた人骨、骸骨公、そしてクレイズの誰もがユリアの死を頭の中にイメージした。

 先程から今までまともに動くことも出来ず、ただ他の誰かに守られてきただけの足手纏い。

 そんな風に、ユリアに飛びかかった狼は考えていたに違いない。自分でもこの娘の生命くらい、容易く息の根を止められると。

 ―――――それでもいつの日か、貴女の背中を追い越して、今度は私が貴女を護ってあげられるような……そんな私になりたいから――――――………

  ――――ジャキッ

 標的の方向を一度も顧みずに静かに持ち上げられた、右手の魔導式拳銃。

 彼女の表情には一点の曇もなく―――――ただ、自身の胸中に在りし日の仲間達の笑顔を浮かべていた。

 失ってしまった笑顔。もう二度と戻って来ることはない、大切な人たち。

 彼等の死は、悲劇でしかなかったのかもしれない。

 でも、私達が共に過ごしたこの数年間は、世界で一番の幸福な日々だったと信じたいから―――――。

 「ガゥッ!?」

 ユリアに喰らい付く直前で、白骨の狼は口の中に異物が入った感触を感じ取った。

 ―――――私はもう、何も諦めたりはしない!死んでいった仲間達が、向こうで安心して笑っていられるようにッ!

 「魔弾装填――――――――――振動弾(シェクトバレット―――リロード)」

 次の瞬間、硬質な骨が砕け散る音が周囲に響き渡った。

 狼の口腔内に突き付けられた魔導式拳銃から放たれた魔弾は銀色の光彩を放ち、その軌跡は高速で駆けてきた狼の頭部から尾部までを直線的に貫いた。

 粉々になるほど破壊された白骨狼の残骸は速やかに空気中に霧散していった。

 鋭角に切り取られた月明りをその身に受け、霧に写った少女の残影は森の闇に銀色の魔力光を刻み付ける。

 『みんな……こんな頼りないリーダーだったけど、せめて最後に、その悲しみから、みんなを開放してみせるからッ!』

 そう決意を胸に刻み、脳内の雑念を全て消し去る。

 今まで霧がかって、モヤモヤしていたものが晴れていく。

 『何か、出口にたどり着く、起死回生の一手を―――。』

 ――――あれは。

 ユリアは敵の配置数の濃淡の違いを見つけた。次いでクレイズに向かって指示を飛ばす。

 「―――クレイズ、そのまま反時計回りに敵を寄せながら移動して!できる?」

 何かユリアの中の心の変化を感じ取ったのか、先ほどまで疲れ切っていたクレイズの手足にも自然と力が湧いてきた。

 「なぁに言ってるのよ!今まで貴女を守ってきたのは誰だと思ってるの?」

 不敵な笑みを浮かべながら、クレイズはそう答える。

 先程よりも激しい行動が増えたが、ステップを踏み、幾多の突進を掻い潜りながら、クレイズはユリアを中心として反時計回りに移動し始めた。

 ――――よし、後は……

 ユリアは大回りに移動する小戦場を横目に見ながら、先程までクレイズが戦っていた自分の真正面―――森の出口までの直線上を見る。

 円状にスカルハウンドに包囲網を貼られた戦場。

 クレイズの活躍で、自身に群がるスカルハウンドは少数。時折り1体ずつ、数体が駆けてくるばかり。単体ならば、それを速やかに彼等の在るべき場所へと還すことは、今のユリアにとっては造作もなかった。

 ――――結果。森からの出口への直線上でユリアの眼前に立ちはだかるスカルハウンドは計4体。

 この数体を倒せば、退路上の敵は全て片が付く。

 ユリアは魔弾を装填し、目の前の形骸化した生命の残滓に、今こそ終わりを与えようと静かに告げる。

 『今、開放してあげるからね……』

 ユリアは駆け出した。前方の四匹も状況を察したのか、ユリアの息の根を止める為に地面を蹴り、抉り、加速する。

 両者の間に、土草が踏み敷かれる音のみが反響する―――――――。

 先ずは先頭の一匹が真正面からユリアの喉笛を噛み千切ろうと大顎を開いて飛び掛かる。

 ユリアは疾走しながらヴィブロ・メッサーを右膝から瞬時に抜刀し、逆手に握った。

 最大出力の加速を纏った一匹と一人は真正面からかち合い、次の一瞬に己の全てを賭け合う。

 両者が交差していた時間はゼロコンマ2秒ほど。これは魔法の恩恵を受けずに人間が反応できる時間の最短限界。

 極限まで研ぎ澄まされた暗中での、攻防ではなく攻め同士の得物の砕き合い。

 俊敏性、機動力、疾さ、思考速度、運、そして覚悟――――その全てが勝ったものが勝つ。

 恐ろしく精錬された切断音が響いた。

 ―――――ッ!

 同時、頚椎を断ち切られた狼の頭蓋が宙を舞う。

 自分が敗したことも気付かぬまま、霊体に呪われた狼は即座に霧へと還る。

 次いで、仲間の死を厭う必要は無いとばかりに、残骸から生じた霊体霧の中を掻い潜り、猛進してくる三匹。

 前方三方向からの同時攻撃。

 ユリアは地面に振動弾を打ち込み、土砂を爆音とともに撒き散らし、牽制し、進路を変形させる。

 狼の足元から吹き出した土飛沫(つちしぶき)が若干、三匹の連携の隙間に虚を生む。――――その隙に、

 『――――――――ここッ!』

 その土飛沫に紛れ、ユリアは高速度を維持したまま前転し、三匹の合間を縫って回避。

 足裏で土煙を上げながら急停止し、ユリアを再度追撃するために反転し、こちらを向いた三匹。

 振り向きざまに中央の一匹に向かってヴィブロ・メッサーを投擲。

 狂化された思考回路で、凶刃の風を斬る音に反応できたモノは皆無。

 ストン、という音を立て刃先は狼の額の中央に沈み―――既死の屍は速やかに崩れ落ちる。

 もはや残された二匹は満身創痍。この数秒でたった一人の人間に仲間の内、その半数を持って逝かれたのだ。無理もない。

 残された白骨狼の内、片方はユリアの裏へと回り、片方は正面から、それぞれから挟撃を仕掛けた。

 半数が死に絶えたとはいえ、魔弾耐性、鋭利な牙を所持する素早い敵。一欠片の慢心、一瞬の余裕、それらが誘うのは死への奈落。ユリアは思考を停止させること無く、ただ冷静に状況判断を下した。

 『距離が離れては魔弾は通用しない。振動剣の所持数も0本。――――なら、』

 ユリアは首から下げた鋭点をもつ六角柱の型を採ったアクセサリーに触れ、第一行程(シングルアクション)の魔法を両足に展開。敵と接触する直前に上方へ6メートルの跳躍を果たした。

 「銃器換装―――散弾銃(アームズ・シフト―――――ショットシェル)」

 「魔弾装填―――溶解弾(メルティ・バレッド――――リロード)」

 互いにぶつからぬよう、二匹はユリアの真下で急停止した。次いで上方から落ちてくるであろう獲物を待ち構えようと――――

 直後、上方から魔弾の雨が降り注ぐ。

 小刻みな破壊音が辺りに撒き散らされ、結果だけがその場に留まる。

 この魔弾で二匹にダメージを与えることなど到底不可能。

 当然、敵をこの過程で始末できる可能性など皆無。

 極小の魔弾は敵の霊体膜に弾かれ、地面に穴を穿つのみ。

 高硬度に加え、対魔力効果のある霊体膜を持つ彼等には傷一つ付けることすら叶わない。

 二匹はこれを獲物の最後の抵抗、負け惜しみだと受け取った。

 先ほど、あれほど凄まじい戦闘を行ったばかりだというのに、最後はこんなものなのか――――と。

 しかし、ここまで詰めておいて、今更投了(サレンダー)する気などユリアにはさらさら無い。

 何故なら、狙いは初めから二匹の足元。その体重を支えている地面そのものの融解にあったからだ。

 気付いてから行動したのでは、もう遅い。回避することなど何者にも不可能。逃げ遅れる者は須(すべか)らく、死に脚を手繰り寄せられる。

 底なし沼に嵌ったように、二匹の狼は足掻く。それでも自らの身体が沈んでいくことは止めることが出来ない。

 「…………―――ズ・バレッ――――ド」

 銀髪の少女の口から紡がれる呪文は最早、醜態を晒しながら喘ぐ狼の耳には届かない。

 半ば二匹の体が沈んだところで、ガラスの割れるような音とともに今度は沼が凍結した。

 四肢と体の大半を地面に掴まれ、もはや二匹は動くことも叶わない。骸骨狼はまるで斬首刑でも宣告されたかのように上半身を氷の沼から露出させていた。

 「来世というものがあれば、貴方達にもう少し平穏な生が訪れますように……」

 ユリアは近くに残された、先ほど自らが投擲したヴィブロ・メッサーを拾い上げ、無言のまま歩を進め、二匹の狼の頭部をバターのように断ち切った。

 『今度こそ……ゆっくりとおやすみ…………』

 半ば振り向き、心の宙でそっと呟く。

 ユリアの背後で、サラサラと敵の残骸は大気中に霧散しては消えて逝った。

-自作小説