最後に金属棒を地面に突き立てたのはリサ、ルドル、ドリスの若手三人だった。
ルドルは茶髪でオッヅほどではないが大柄であり、他の二人の女衆をたしなめる役を自ら買って出ていた……いや、正確にはやらされていたという方が正しいが。
「おい、どんだけお前ら足遅いんだよ!もうちょっとちゃんと歩けよっ!特にリサ、お前の大好きな野生動物は居やしねーから無駄に周りに気を散らすな!」
その抗議の声にリサとドリスは金髪を揺らしながら猛反発した。
「ちょっとルドル、それは言いすぎなんじゃない?私たちは慎重に周囲の警戒をしていたんだからね!」
「ルドルこそ、チームなんだから少しは私達に合わせなさい。もしかしたら特異な生物種が潜んでる可能性もあるから周囲を確認してるの、前だけ見てるアナタとは違うのよ」
「うっ……」
今まで生物がいないいないと呟きながらのろのろと歩いていた女性陣二人。周囲の警戒を怠っていたのかと言えばそれは嘘になるが、ちゃんと仕事をしていたと言えばそれもまた嘘になる。
二人が双子というだけあって、息も十分に合っていた。
「……分かったよ。でもこれからは第二次警戒区域なんだからな。余計なお喋りは無しだぞ。」
「分かってるわよそんなこと。それに作戦会議中から目標がクルス霊森の中心にいることはだいたい分かっていたじゃない……さぁ、これからが本番よ。」
「フフッ、緊張してきたわね」
三人は黒を基調としたスーツを正して狩場となるであろう地点へ向かった。
◇◇◇◇
此処は深淵なクルス霊森の中心部。
高天からの陽光も失せ始めた頃、クルス霊森はその正体を現し始める。
木々の隙間を霊体が風の様に通り抜けては、彗星の帯のように白い霧を残してゆく。
闇が深くなるに連れて霊体の往来が激しくなり、骸骨の屍はただカタカタと、大木の根に座り、その魂を差出しに来た人間達を待ち構えていた。
「サァ、ハヤク、ワタシヲコロシテクレ」
もう、あの頃には、あの場所には戻りたくないと。
あの者達が、もしかしたら追ってくるのではないかと。
「ナラバ、ハヤクワタシヲコロシテクレ」
自分を探しに来る前に。自分を連れ戻しに来る前に。
―――――せめて今、森に侵入している者達からは狂気が感じられない。
この森に逃げ仰せてから、既に、奇跡的に保っていた自我も崩壊しかけている。
「ワタシモ、キョウキニノマレルカ……。」
そうして、スッと骸骨の意志は死に絶え、残った残骸に無数の霊体が侵入してゆく。
つまりこのクルス霊森という異界は、そういう場所であった。
多くの霊魂が、中心部に根を張る神木に引き寄せられ、森に入ってきた生者死者の区別なく、隙在らばその容器(肉体)を強引に奪い取る。
つまり、ここに踏み入った者は例外なく森中の霊体を敵に回さなければならない。
――――――現在、森の動植物は一つの例外もなく霊体に中枢機構を乗っ取られている。数時間前に体を献上しに来た愚かな侵入者達以外は―――――
◇◇◇◇
クルス霊森侵入後4時間――――第二次警戒区域内。
一番最初に森の異変に気付いたのは弐織一葉(にしきおりかずは)とスフィル・ノーチェスのペアだった。
スフィルは少し長めの銀髪を撫で付けながら、横目で隣を歩く一葉を時折チラッと見ていた。
彼は密かに1つ年上の一葉に思いを寄せており、それは当事者以外のギルド員は殆どの者が知っていた。
「ねっ、ねぇ一葉……何か最近―――」
しかし勇気を振り絞りやっと出そうとした彼の言葉は、端的な一葉の言葉でかき消される。
「―――気を付けて。日が沈んでから霊体の動きが変わった。明らかにこちらを意識している。」
スフィルは頷き、男子にしては長めの銀髪に付けてある暗視バイザーの霊体計測装置をオンにした。
「うわ、何だここは……霊体濃度が濃すぎて、まるで霧がかかったみたいだ」
一葉も装置を起動させた。そして眉をひそめる。
「チッ、敵も考えなしにここを根城にした訳じゃないらしいわね。スフィル、気を付けなさい、強く自分を意識しないと体ごと持ってかれるわよ。」
「うわぁ……さすが俺達に率先して回って来た依頼だけのことはあるね……」
二人は確実に森の中心地点まで慎重に足を運んでゆく。
UADバングルによると接敵まで残り15分の距離だった。
スフィルは右腕の赤いスカーフにそっと触れて祈った。
「ユリア姉さん……今回もきっと……うまくいくよな……」
周囲には濃霧が立ち混め、第二次警戒区域内はバイザーの視界補正無しでは歩行もままならない状態だった。
◇◇◇◇
『こちらベータ2―――――――エリアD-14にて目標を発見。』
ミズキがユリアに告げる。
『了解。他もすぐに合流する。手出しはするな』
『了解(ラジャー)。』
「―――――――――オッヅ、聞いた?行くわよ」
ユリアは通信を終えて、少し前に屈んでいるオッヅに話しかけた。
「ほら、怖くないから出ておいでー」
「ん?オッヅ?なにか見つけたの?」
「リーダー、ほら子犬だよ。逃げ遅れたのか迷い込んだのかは分からないけど……」
―――クゥーン
そんな怯えるような、か弱く震える鳴き声が茂みの中から聞こえた。
「全く、とんだおバカさんな犬ね。逃げ遅れたのかしら……」
オッヅは呼んでもなかなか出てこない子犬に近寄り、再び呼びかけた。
「ほーら、怖くないから……」
そして、右手を茂みに伸ばした瞬間―――。
―――――グヴァッ
「――――へ…………?」
ブシャァと液体が散布されるような音が闇に撒き散らされた。
その場にいた二人の人間には一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
眼前が朱色一色で乱雑に塗りたくられる。
一瞬で持っていかれた部分はオッヅが伸ばしていた右腕の肉。それも、肘からごっそりと。
「ぐ……ぐああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァッ!」
オッヅは芝生から出てきた白骨の犬―――もとい朱く染まった骨を主体にした狼を前に、地面に尻を着き後退しようとした。
「―――――くっ」
そのまま奥歯を噛み、右膝のホルスターから魔導式拳銃TY-300の抜いて目の前の異形の生物に向けて魔弾を射出した。
――――ガキンッ、ガキンッ
「―――――なっ!?リーダー、駄目だ!、こいつら、弾が弾かれちまうっ!」
はたして硬質な対物弾は、その魔性ゆえに直接ぶつかることはなく、その硬質な骨と体表面の霊体膜に弾かれる結果となり、跳弾し、暗闇の中へ消え失せた。
ニィ、と目の前の白い生物が嗤った気がした。
瞬間、硬質な細身の前足が力強く地面を蹴る。
ソイツが向かったのは、いかにも脆弱そうな銀髪の少女の腹部。
その柔らかな皮を、肉を、内蔵を、その鋭い顎で引き千切りたいと、大口を開けてその中心へと飛び込んだ―――――
「やめろおおおおおぉぉぉぉォォォォォッ!」
オッズの声が霧の中に響き渡った。
―――――――――。
……グチャリ、ビチャッ
白骨の狼は達成感に心を満たす――――しかし、何やら噛み心地が想像と異なり、少し固く、有り体に言えば、不味かった。
オッヅは直前でユリアの前面に出て自らを盾にし、猛獣の牙をその腹に受けていた。その腹に突き刺さったままの頭蓋を、逃がすまいと軋む右手で押さえつける。
「ははっ……悪いな……。誰もリーダーの白い肌にはノータッチなんだよ……。お前は……俺ぐらいの不味さで十分だろ……この距離なら……もう、弾かせねぇよ……」
オッヅは背中から引き抜いた、左手で持った自動装填式ショットガン――――ヴァネッサK73を白骨の犬の頚椎部分にゼロ距離で押し当て、そのままトリガーを引いていた。
割れるような音とともに、そのまま狼の首と胴体が千切れ、致命的な断裂が生じ、ソレは再び動き出すことはなかった。
「ハァハァ……コイツ……どんな馬鹿げた硬さしてるんだ……」
全てが一瞬の出来事で、ユリアは不覚にも言葉を失っていた。
――――――そんな……私の小型端末では、周囲に生物反応は見受けられなかったはず……
白骨の犬の残骸の破片が屑になって空気中に散らばり、微細に気化してゆく。
ユリアは夥しい血液が流れるオッヅの腹部と右腕に、ポケットから取り出した手のひら程のカプセルに入った粉末を少しかけた。
「オッヅ…………大丈夫ッ!?」
「はは……面目ありません……。」
そして同じくオッヅの腹部に掌を当て、治癒呪文を唱える。
「救済の加護を―――我が手に宿せ、Recuperation (リキュペレーション)」
腹部と右腕部に掛けた粉は、幹細胞とナノマシンが入った応急用回復キット。これで腹部の損失した箇所の再生とその促進、病原の排除を行う。
加えてユリアの魔法で自然治癒力を上げ、回復キットの効果を更に上乗せする。これにより致命傷は十数秒で完治とは行かないものの、ある程度の負傷と呼べるほどまでには抑えられた。
やはり本格的な治療となると、現在の技術でも適切な環境と相応の時間を必要としていた。
ユリアはヘッドセットの無線チャネルを開き、他の仲間に告げた。
『こちらチームリーダー。みんな、聞こえる?オッヅが骨の化物に襲われて負傷した。敵は魔弾を弾いたわ。オッヅの治療と装備変更のためにも一度撤退しましょう。』
しかし砂嵐のようなノイズが酷く、仲間の誰一人からも返事を受け取る事は無かった。
「クッ、こんな時に……」
「一旦引くわよ。できるだけ早く完了せよとの上からのお達しだけど、別に明確な時間制限がある依頼でもないからね。連絡を試みつつ、森を出ましょう。」
負傷した仲間に手を差し出し、その体重の一部を請け負った。
「すまねぇな……リーダー……」
ユリアはオッヅに肩を貸しつつ、ゆっくりと地面を踏み締めて歩き出した。
「あなたは何も悪くないわオッヅ。さっきは本当に助かった……ありがとう。」