「ハァ、ハァ、ハァ……」
暗闇に包まれた深い森の中を二人の少女が駈けてゆく。
ザッザッと地面と靴が擦れていく音だけが継続的に周囲に反響し、本能の奥底に据えられた恐怖を逆撫でする。
眼前には蛍光塗料(マーカー)の光だけがポツ、ポツと所々で点滅しており、今やそれだけが二人の心を支え、同時に命綱の役割を果たしていた。
「あと10分くらいで……ハァ……ノルクエッジに乗れるわ。……そうしたら、私達の、勝ちよ」
だがその光明を掻き消すように、左右からは動物のうめき声と足音が近付いて来ていた。
どうやら森を抜ける前に囲んで一気に獲物を仕留めるようだ。その気配を感じ取ったクレイズは―――――唐突に走ることを、やめた。
ユリアが驚いて足を止め、信じられないとでも言うように後方へと振り返った。
「ちょっと……クレイズ、私達、走らなきゃッ!」
ユリアはクレイズの手を握り、引っ張って行こうとする。
「ユリア……どうやら私たちは、このまま逃げ切れそうにないわ」
クレイズは遠距離から猛スピードで近付いて来る異様な擦過音をその耳に捉えていた。
「――――――ちょっと、もうすぐなのよ!早くここから―――――ひゃッ!?」
クレイズは反射的に、左側へ、ユリアと共に地面へと滑り込んだ。
何故なら、進行方向の右方の茂み――――というよりは木が重なって壁のようになっていた場所から、決して自然物では在り得無いモノがその鎌首をもたげて飛び出してきたからだ。
数本の大樹が幹の半ばから切断され、大仰な音を纏い、二人の方向へと傾いた。
重力にその巨体を引かれながら、大樹がここぞとばかりに二人を潰しにかかる。
「――――――ユリア!私に体重を預けてッ!」
状況を捉え切れないユリアはクレイズに全てを託した。――――結果、重々しい音と相まって倒れてきた大樹をギリギリで地面を転がって回避する。
続いて、切断された木々の向こう側から何かが二人へと歩み寄った。
全長は2メートル程だろうか。それは鋭利な三日月型の大鎌。その持ち主はフードを被った「何か」。その服装は旧時代の魔女の、床にまで届きそうな長いボロボロのローブを連想させる。
大鎌を持つ手は骸骨のそれだった……。
「あ……あ……」
ユリアは目を見開き、少しずつ、尻餅をついた体勢で後退りしていた。
どうやらユリアがクレイズに見せた映像に映っていたのは目の前で屹立しているこの骸骨らしい。
ユリアの脳裏に、仲間が惨殺される光景がフラッシュバックした―――――――。
『リーダー、駄目だ!、こいつら、弾が弾かれちまうっ!』
広範囲での戦闘が想定されていたため、ギルド総員11名で臨んだ依頼だった。
『ユリ姉ぇっ!後ろっ――――危ないっ!』
自分を守って死んだ、多くの……かけがえの無い、仲間達―――――。
砂嵐のような不快なノイズが頭の中を埋め尽した。
「…………私の、せいだ。」
両の掌でユリアは自らの顔を覆うように包み込む。
「ぜんぶ……私のせいなんだ……」
目の前の骸骨――――スカルハンターが再び大鎌を構えた。その常闇のような双眸からは歪な殺気が溢れ出ており、眼前の少女に恐怖を植え付けていた。
クレイズは奥歯をギリッと噛んだ。
――――――周囲にはあの骨の犬が囲んでいるだろう……どうすれば、この状況から一時的にでも抜け出せるのか――――――――
瞬間、スカルハンターがガチャガチャと骨を鳴らしながら、加速した―――――
間髪の無い、大鎌による縦薙の一閃。
ガキンッという氷を割ったような不快な音が鼓膜に響く。
クレイズは瞬時に傍らのユリアを突き飛ばし、大鎌から回避行動を取っていた。
地面には、重苦しい斬撃により大きく裂けた傷が残り、その驚異的な切れ味を二人の脳裏に刻み付けた。
「ユリア、何してんの!死ぬわよっ!」
その言葉で、ユリアがハッと我に返る。
「ご、ごめんなさい。私……」
「正気に戻ったのならいいわ……撤退するから、回りにいるだろう犬っころをどうすればいいか考えて!」
「……わかった」
距離を取りつつ、ユリアは魔弾を正確にスカルハンターに撃ち込んでいく。
だが、骸骨公が纏う霊体障壁に阻まれ、魔力を消耗するままになっていた。
クレイズはフェイントを重ね、リズミカルな左右へのステップを踏み、迫り来る大鎌を紙一重で躱していく。
「クッ、コイツ……大鎌の振りが大きい割に素早く切り返してくるわね……これじゃ反撃すら出来ない……」
間近でユリアの魔弾を防ぐ不可視の壁と、地面に無力にも落ちた魔弾の残骸を観察する。
―――――――壁が変異して、魔弾に巻き付いて魔力を吸い上げてる……魔法陣まで削り取られてるわね……私の魔法の装填数は残り一発分。だけど、隙がない……詠唱時間も……
ッ!?―――――大鎌の横一閃。足元を狙ったその一撃を、クレイズは寸前で垂直にジャンプして回避し、体を背後に捻りそのまま空中で後転し距離を取った。
大鎌の巻き起こした旋風により地面の土は派手に舞い上がり、土煙が骸骨公を包み込んだ。
クレイズは体勢を立て直し、土煙から出てきた目の前の骸骨公を見やる。
今の大振りの勢いでフードが取れ、その白骨化した顔面、もとい髑髏が顕になっていた。
「ガァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァッ!」
スカルハンターが叫んだ。骨のみの喉でどうやって声を発しているか理解不能だが、周囲の木々から「フィンガム」によればスカルハウンドと呼ばれる白骨の犬と、明らかに人骨である骸骨が数名、二人に向かって駈けてきた。
いつまでも二人に手傷を与えられないため、どうやら手下と一気に畳み掛けることにしたらしい。
グルゥと奇妙なうめき声をを立てながら、群れで様々な方向から骨を剥き出しにした狼が近付いてくる。
その奇怪な骨の集団の内一体にはナイフが装備されており、見慣れた赤色のスカーフがボロボロの状態で腕に付いていた……。
視界内にそれを見留め、ユリアの全身は金縛りを受けたように硬直する。
「……スフィル……なの?そんな……なんで……」
ユリアは両手で自分を抱き締め、肩を小刻みに震わせる。
恐怖で奥歯がガチガチと鳴る。それは、目の前の人骨が仲間のものであるという核心があったから。
「オッヅ、ニーナ……みんな……やっぱり……私、出来ないよ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
ユリアは戦意を喪失してその場に蹲り、その斧に真っ二つにされるであろう未来を、噛み締めた。
走馬灯のように、凝縮された後悔の時間が脳裏で再生される――――――。