――そこは深い森の中。
目の前の光景が一般の森林のものなら猛獣や鳥の鳴き声が響きそうなものだが、そんな日常とは裏腹にこの暗い森は完全に沈黙を守っている。
その黒々とした自然の暗中に場違いな二人の少女。
片や、紅の長髪をストレートに伸ばした、すれ違う誰もが思わず振り返るほどの可憐な少女。
片や、白銀の長髪を垂直に地面に向かって伸ばした、絹のような白い肌を血塗れにしている儚げな少女。
銀髪の少女の手には魔導式拳銃が握られていた。服装はボロボロで、白地のシャツに合うようコーディネートされた機動性重視の黒いスーツ、次いで赤いネクタイを締めている。
魔導式拳銃とは科学技術によって生み落とされた「銃」という空気抵抗を受け難いようにデザインされた金属弾片を火薬の力で音速以上の速度を伴って撃ち出す殺傷武器を魔学技術により加工されたもので、魔法陣を施された銃弾、銃身により、銃撃に魔法的特殊効果が付加されたものである。
その魔導式拳銃を携える血濡れの少女が気を失う前に呟いた一言。
「――み、……みんな、……殺されたわ……あの、髑髏に……」
これが何を意味しているのかクレイズには解らなかった。ただ、己の直感がこう告げている――此処からすぐ離れたほうが賢明だと――
しかしこの場所は夜も深まり、あらゆるモノが寝静まった森の腹中。霊体濃度が高く、見上げると月は三日月型に切り取られていた。
突然こんな場所に投げ出され、ノルクエッジという足をなくし、進むべき方向さえを見失ったクレイズに出来ることは限られている。
「敵」の姿形は? 「敵」の音は? 「敵」の位置は? 「敵」の戦略は? 「敵」の戦力は? そもそも、「敵」とは一体何なのか……
様々な思惑がクレイズの脳内を駆け巡る。
今まで一度たりとも大都市の外へ出た経験が無かった紅髪の少女にとって、この状況はいきなり大海へと投げ出された淡水魚も同義だった。
不安が電流のように体表面を蹂躙する。
――クッ、こんなんじゃ……エミリアを助けるのなんて夢のまた夢ね……
どこへ進めばいいのか判らない、逃げられもしない、見えない敵に立ち向かえもしない。そして、傍らで意識を失っている少女を――見捨てられもしない――。
クレイズは今何を一番にするべきか考え、その結論として自分の右手を少女の首筋に充てがった。
――ドクンッ、ドクンッ……
「よし、まだ息はあるわね。まずは出血を止めなきゃ……」
そう言ってクレイズは少女の服を出来るだけ脱がし、ノルクエッジに積んでいた――今は周囲に散乱しているプラスチック容器に入った飲料水を血に染まった体表に掛けた。
こうも体表面が朱一色に染まっていては、傷口の所在すら掴み難い筈だった。
――しかし、
「あれっ?この子……傷が……無い?」
同じく散乱していた比較的清潔なタオルで肌の血を綺麗に落とすと、少女は掠り傷を少し負っていたが、大きな怪我は負っていないことが見て取れた。
「……んっ」
水が冷たかったのか、タオルがくすぐったかったのか、少女は目を右手でこすり、目を瞬かせた。
「……ねぇ、大丈夫?」
「きゃあっ!?」
喋りかけると、少女は飛び上がり、クレイズから距離を取って木の影に隠れた。
その仕草に、クレイズは少し困ったような顔をして、語りかけるようにゆっくりと話しかけた。
「私は敵じゃないわ。ここで何があったのか、教えて欲しいだけよ」
―――――――。
数秒後、少女は警戒を少し解いたのか、木の影から頭だけを出し、そして細々と呟いた。
「私はユリア・ノーチェス。ギルド『GunSlinger-ガンスリンガー-』の長をしている者です……助けて戴き、有難う御座いました……」
顔を少し赤らめ、ユリアは少し距離を取ったまま、少し会釈をした。同時に美しい銀髪がサラサラと揺れる。
クレイズは微笑みながら頷いて、自分も素性を明かした。
「私はクレイズ・ハートレッド。理由(わけ)あって妹を探しているの……手違いでこんなよく分からない場所に飛ばされてしまったんだけど……ここから出る方法を知らない?」
◇◇◇◇
――静まり返った森の中。
クレイズとユリアは互いの持ち得る情報を与え合った。
――結果。ユリア達がこの森に入って進んでいたルートを引き返して、ギルドの者たちがノルクエッジを駐車させた場所まで戻ることに決めた。
幸い、行き道では散在する樹の幹に『マーカー』を付けていた為、専用のライトを当てれば蛍光塗料が発光し、どこを通ってきたのかを瞬時に確認できる。
だが、今回「森」――クルス霊森にユリアのギルドが討伐(ハント)しに来たターゲットがまだ息を潜めている。
自然環境保護機関「エルレア」がギルドに依頼した討伐対象は『骸骨公(スカルハンター)』。
クレイズは今まで見たことがなかった。こんなもの、「生物」の範疇に加えられるのかさえ定かではない。
依頼してきた都市機関から送られてきたのは状況文書と2秒間の映像ファイル。これに映っているモノを討伐して欲しいと言うものだった。
クレイズはユリアのUADバングルに記録された映像を3次元モニタで見せて貰った。
映像の内容は殆どが鮮血の朱で塗りたくられ、砂嵐のようなノイズが音声の殆どを占めていた。
揺れが激しい2秒間の映像の間にターゲットが映っていたのは、わずか4フレーム間のみ。
そいつは30名近い人間の屍の山の中心に直立していた……
黒いボロボロの外套を纏い、フードを深く被った人骨。
それが依頼のターゲットなのだという。
ソイツが最初に確認されたのは一昨日の深夜。
犠牲となったのは映像に映っていた、このクルス霊森の生態系調査に訪れた生物学者達26名と「エルレア」から送られた護衛2名。
残されたのは手遅れとなった救助要請シグナルと2秒の映像記録のみ。
映像通信機器の不調のために調査団からのデータは破損しており、送られてきた破損データを断片修復して2秒間の映像データに再構築したらしい。
持ち前の戦力では歯が立たないと悟ったエルレアは急遽、ギルド統括機関「フィンガム」に依頼し、その依頼をユリア達『GunSlinger(ガンスリンガー)』が受諾した。
普通なら、「ギルド」という強力な戦闘単位が出た時点で速やかにこの事件は幕を閉じる筈だった……。
だが、想定外の因子が一つ。
ソイツは戦闘に特化したギルドですら軽く叩き潰した……。
『GunSlinger(ガンスリンガー)』は魔導式拳銃での中距離攻撃を得意とするギルドだった。
組織を構成する年齢層は身寄りの無い十代が占めていた。危険な依頼を請け負う職種でもある為、それはこの世界において完全に異質な事だった。
それまで未成年のみで構成されたギルドの前例が無かった為、創設時に法律で規制されることはなかった。
だが、法を抜ける事が世間に認められる事と同義ではない。
ギルド申請時は多くの人々に反対され、一部で論争となり、ギルド統括機関も申請受諾を渋っていた程だった。
しかし結果的に、「ギルド創設の自由」という根底概念に基づき、ギルド『GunSlinger(ガンスリンガー)』は創設された。
創設当初は若者だけで構成されていた事もあり、安全な依頼のみがギルド統括機関から提示された。
だが数ヶ月も経過すると、彼等の有能さを誰もが意識し始め、次第に危険度の高い――討伐依頼へとシフトしていった。
それでも彼等は依頼主との契約を違えることはなかった。
様々な魔弾、戦術、戦略、罠を駆使し、まるで一つの生き物の様に目標を追い詰める。
彼等の有能さは留まることを知らず――依頼完遂率は実に97、6%にも及んだ。
創立から一年も経つと、ギルド統括機関からも主戦力として勘定に加えられ、今回の依頼を真っ先に任されたのもその為だった。
だが、結果として惨敗。――現在に至る。
「……さぁ、行くわよ」
クレイズに促され、ユリアも立ち上がった。
ユリアが左の胸ポケットから取り出したライトを木々に反射させ、緑色に発光する『マーカー』を追っていく。
…………。
――5分。
…………。
――――30分。
…………。
――――――――45分。
依然として沈黙を守る森の中で、聞こえるのは足元が覚束無い「人間」二人の足音。
森の終わりは見えず、どこまで続くとも判らない暗闇の中を進んでいく。
警戒心を極限まで高め道なりに進んでいく最中、何の予兆もなく、突然ガザリッと周囲の茂みから音が聞こえた。
――ひゃっ!?
二人は反射的に抱き合いながら、声も出せず驚愕して硬直する。
不意に、近くの茂みが揺れた――
「クゥーン」
それは都市内でも普遍的に見掛けることの出来る、犬のか細い鳴き声だった。
「はぁ……」
クレイズはこんな森にも普通の生物がいたことに少し安心を覚え、何の躊躇いもなく茂みに声を掛けながら近付いていった。
「迷子の子犬かな?……出ておいでー」
――ッ!?
この時、ユリアの瞳は驚きのあまり収縮して、表情も強張り、中半封印しかけていた嘗ての記憶を呼び戻していた。
――デジャブだ。……あの時と同じ……
あの時もそう、犬の声がして……
悲惨な光景がはっきりと脳裏に蘇り、錆び付いていた思考回路に活を入れると、反射的に身体は動き出していた。
「――いけないっ!」
ユリアが強引に、尚も茂みへと近付いてゆくクレイズの服を力の限り引っ張った。
次の瞬間――
背筋が芯から冷えるような、歯切れのいい犬歯が噛み合わされる音が耳元を掠めていった。
大型の、口が大きく裂けた狼に似た生物が暗がりから飛び出し、クレイズが一瞬前までいた場所を通過したのだ。
「――なっ!?」
その狼には――目が付いていなかった、皮膚が付いていなかった、肉が付いていなかった……。
つまり――骨のみだった。
ユリアは数時間前の、自分たちのギルドが壊滅した一連の出来事の発端をフラッシュバックさせていた。
大柄で坊主頭ゆえに、街を歩くと他人から怖がられることが多いが、本当は気配りが出来てギルドで最も優しい仲間のオッヅが、弱々しい犬の鳴き声に駆け寄って――喰い千切ぎられる光景が――。
あの後は――いや、今はそれよりも――。
ユリアは腰のホルスターから銃を引き出し、目の前の骨の生物に向けて撃った。
立て続けに三発の銃声が森の中に響く。
しかし銃弾はその硬い外郭……もとい頭蓋に当たって弾かれ、遠方の暗がりの中へと跳弾して消え失せる。
「――くっ!」
ユリアが右手に魔力を込めた――銃身が青く発光する。
「魔弾装填――凍結弾(フリーズ・バレッド――リロード)」
鋭い銃声とともに撃ち出された蒼い魔弾が直線的な軌跡を描いてゆく。しかし一発目は狼の機敏な運動能力により、魔弾は頚椎のすぐ脇を通り抜け、命中することは叶わなかった。
しかし装填された魔弾は一発だけではない。続けて放った弾が、反転し再加速を始めた狼に命中し、氷がその足を覆った。
突進の軌道は反れ、狼は後方の地面へと墜落した。凍結中の脚部の氷が接地面へと広がり、完全にその場に縫い止められた。だが、身動きの封じられた状態でも眼前の人間への牽制は止まない。
――ガルッ、ガウッ
「こいつらは倒されると自壊して空気中に散らばり、他の仲間に位置情報を知らせるわ……」
三度目の銃声が鳴り響き、至近距離から放たれた魔弾が骸骨犬の口腔内を捉え、その頭部を凍り付かせた。
「さぁ、今のうちにここから離れましょう……どんどんあいつらの数は増えるわ。幸い、野生の猛獣のように鼻が良いワケじゃないから上手くいったら逃げ切れると思う。」
冷静を装って淡々とそう言い放ったユリアは、肩で息をしており、傍目から見てもどこか興奮しているようだった。
「……にわかには信じられないけど……どうやら受け入れるしかなさそうね……」
クレイズは異形な生物を目前に、この現状を何とか自らの心中へと落とし込んだ。