――第八都市中枢・魔科学系統技術開発施設――セレシーダ・オクトプラント
その施設は堅牢で白亜な外観を成しており、一見するとその荘厳さと風貌から城のようなイメージを抱く者も多い。
在籍している研究者達は一人の例外も無く各専門分野の優秀な人材で構成され、最新鋭の機材が完備されており、その為かこのリエニアにおける最高研究施設としても名高く、研究者達の憧れの職場としても常に最上位に位置していた。
その広大な敷地の内部は透明度に優れた導電性強化パネルで覆われており、現在は3つの研究を同時進行させている。
この並列研究方式は創設当時に取り決められたもので、数種の同系統の研究を同時並走させることにより、或る研究が行き詰まった時に別の研究に力を入れ、発展させたその研究で得た成果を遅延していた研究にフィードバックさせることを利点とする。
これにより研究者達は互いを補填し合う関係を深化し、研究をより円滑に進めることが可能となった。
セレシーダ・オクトプラントの功績として讃えられるのはUADバングルや人工魔導衛星ソルスの基礎理論の構築やその中枢に据えられている魔法陣の開発だ。
これら超精密機器の中枢には極度に縮小化して編み上げられ重層展開された魔法陣が幾重にも並んでいる。これら精密機器の複雑な駆動を実現させるにはより複雑な設計図――――つまり、魔法陣が必要不可欠である。
その高度な魔法陣を開発し、一般の工場にも扱えるように簡易化と最適化を推し進めることが出来るのはこの場を除して他に無い。
そして現在、この研究施設では新たな技術革新と成り得る魔科学技術が確立されようとしていた。
この技術が各都市へと本格的に実装されれば、リエニアは新たな転機を迎えることに為る。
この世界に息づく人々が須らく高純度の幸福を手に入れられるほどに――ソレはそんな意味を内包していた。
「――博士。どうですか、進展状況の程は?」
白衣の色を映した清潔な長い廊下に、現在では装飾品としてしか意味を成さなくなった黒縁の眼鏡を掛けた初老の男性の太い声が反響する。
声を掛けられた眼前の女性は男性の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、十分な自信を込めた声調で応対した。
「えぇ、そうですね……現状80%といったところでしょうか……遅くとも今後一年以内には完成する予定です」
その応えを耳にし、初老の男性は白髪混ざりの髪を掻き揚げ目を丸くし、顔に笑顔を浮かばせた。
「ほほう、それ程にまで早まっていたとは……これで我々人類はこのリエニアに於いてヒエラルキーの頂点に君臨することが出来るのですね?」
過大な期待を向けられた女性は少し目を伏せながら、未来に期待する自身の見解を述べた。
「それは少し語弊がありますが……これで全人類が惜しみなく魔法を使えるようになることは確かです。例え、それが衛星軌道魔力収束砲の規模であっても……」
それを聴いて安心したとでも言うように、無精髭を撫でて満足気に頷く。
先ほど自分の言動により正面の金髪ブロンドの女性が表情を曇らせたことなど露知らず、眼鏡の位置を正して続けた。
「同じことではありませんか?人一人がニルヴァーナを乱発できるほどの魔力を得る――となれば、外界の生物など恐るるに足りません」
「――そうかもしれませんね……ですが、私はこの技術をそんなことの為に使って欲しくありません。あくまで平和的に――」
「何を仰るブレンナー博士!外の化け物共が無力化された時こそ、我々人類の平和が奴らの屍の上に咲き誇るのでは?」
「――絶対にそうはなりません。私は、リエニアに生きる人々の心の中に確かに存在する優しさを信じています」
「……そうですか。まぁ、それは彼らが決めることです。それにこの技術は無能力者達を根底から蔑ろにしているという事をお忘れなく……」
「……その解決策も、また時代が導き出すでしょう。」
「――楽しみですよ。貴女の信じる未来が、本当にこの先に待っているのか……」
廊下に佇む長髪のブロンド女性は、先にコツコツと足音を響かせながら歩き出した男性の背中を見送った。
研究者という人種の中には、稀に4S-Systemの洗礼を受けてもあのように脅威を内に秘めている者が存在する。
そして外側からは中半神格化されたような評価を受けているこの施設にもそれが巣食っているという現状を、嘆かわしく想う。
それらが決して叶わぬ願いで、人や世界に害を与えることがないと4S-Systemに思考矯正を寛容されたことはせめてもの救いだ。
もしそれが個性の範疇を超えて本当に脅威として働くなら、4S-Systemが既に排除してしまっているだろうから。
セレシーダ・オクトプラントに勤務して数年、先の男性には初めて話しかけられたが、あの類のことを言われたのは彼で5人目だ。
私がこの施設の責任を背負う立場にまで昇ったという事、つまりそれはこの施設の方針決定権は私に在り、果てにはこの技術の平和利用の方向性も私自身が決められるということ。
絶対に、リエニアに息づく動物も人間も草花もこの「―――――――」で幸せにしてみせる――絶対に。
オクトプラントの研究内容、研究方針については既に周知の事実であり、それはこの世界の全ての者が知っており、その達成を誰もが心待ちにしていた。
4S-Systemを受けたことが在る者ならば、研究の初期プロットが可決された時点でこの技術がどの生物の損失にも成りはしないということは理解っている。
――全人類の英知や技術を総動員して試算し得る、全てのデメリットに関しては……
故に、幸福のみを生産するで在ろう技術で、後に全人類が予期しない不幸を生み出し得る可能性は完全には払拭出来ない。
だがそれに恐怖して発展の足を竦(すく)めてしまっては、掴める筈だった幸福も、聞き届けられるべきだった福音も得ることは出来ない。
だから人々は思考統合装置である4S-Systemに頼る。そのフィルターを介して、60億人もの秀才の同意を得ることにより、被害発生率を限りなく零へと引き下げる為に――。
こうして時代革新の胤(たね)として産み落とされたこの技術。それが実際に花開く時、その花弁が幸福の色を纏うかどうか――それは未だ解らない。
――たった一握りの者達を除いては。
セレシーダ・オクトプラントから遠く離れたその暗澹たる空間で二つの人影は向かい合っていた。
常闇に抱かれたその一室で交わされるのは幾つもの感情が入り乱れた声調の応対。
誰にも気付かれることはなく、これから先の未来に訪れるであろう事象は段階的に確実なモノへと成熟しつつ在った。
「――シルヴィア、矢張り量産化は間に合いそうにない。このまま向かわせることになるかもしれない……」
「構いません。……父様、貴方は本当に甘い人です。私達は父様の手足であり、それ故に幾ら使い潰されたところで貴方を恨むことは決して在りません」
「――そうか……すまない………」
「………謝らないで下さい。もしや、私達が万が一にも負けるとお考えですか……?」
「――いや、それはない。だが、その過程でお前達の心が傷ついてしまうかも知れない……人を傷つけることによって」
「再度応えます、構いません。私達は貴方の理想を叶える為に存在します。その為に私達がいくら傷付こうとも、心を痛めないで下さい……貴方は、優し過ぎるから。」
「分かった……だがこれだけは覚えておいてくれ……理想を遂げるためにお前たちを使い潰すつもりはない。それが必要なら、他の手を考える……考え出してみせる」
「全く……貴方は本当に甘ちゃんですね……いいでしょう。誰ひとり欠けること無く、目標を――あの技術を完成前に完全に封殺します。」
「迷惑を掛けるな、シルヴィア……」
「――いいえ、父さん……では、不穏分子を少し牽制してきますね。」
「あぁ、頼む。俺ではあまり強く諭せないからな……少しお灸を据えてやってくれ」
「――了解。」
不安が男を焦らせる。あの技術のせいで、リエニアは――。
進行状況に併せて入念に計画を立てていたはずだった。だが想定よりも開発速度が早過ぎる……
だから此方も計画を前倒しにする必要があった。
未だ此方の絶対有利は不変だが、それによって勝率が100%から99.9%に下がったことは否めない。
残り時間は2年、或いは1年ほどだろう。
止めなければならない、アイツが愛したこの世界を崩壊させない為に、写真で切り取った一瞬のように……永久に美しく存在させる為に……
期限は刻一刻と近付いていた。決して止まることはない。――「永久魔力機関」の完成まで、残り1年――
◇◇◇◇
何処からともなく空間に電流が迸り、高さ8メートルの虚空から絶縁破壊音と共にクレイズとノルクエッジが弾かれたように飛び出した。
先程まで二つのタイヤが踏み締めていたパネルは跡形もなく、加えて代替出来そうな物も空中には存在しなかった――つまり、
「きゃあああああああああああああぁぁぁぁぁぁッ!」
いきなりの自由落下にクレイズは悲鳴を上げた。ビルの3階にも匹敵し得る高度から事前説明もセーフティバーも無く蹴落とされたのだ、無理も無い。
少女の体は全身を舐められるような浮遊感と重力に襲われ、抵抗することは敵わず、落下地点は急速に近づいていった。
――次の瞬間、
どこか爆発するようなけたたましい音を立てて地面に衝突し、気付いた時にはノルクエッジは少女の傍らでバラバラになっていた。
どうにか墜落の寸前で安全装置である衝撃吸収材が働いたらしい。そうでなければ落下時の反動で確実に死んでいただろう。
「痛たたぁ……一体、どこに出たのよ……」
クレイズが上体を起こしながら紅い長髪を左右に振って周囲の暗闇を見渡す。
そこは天辺を視認出来ないほど背の高い巨木で囲まれた場所だった。
どうにか自身の両足で立ち、ザラザラとしたその感覚に違和感を覚えた。足裏で踏み締めたモノは都市の導電性強化パネルではなく、柔らかい砂の地面だった。
とうに日は暮れ、周囲は暗闇と冷たい空気に包まれている。
都市内の自然景観にしては払拭し得ない違和感が一つ。
周囲に大木が生い茂っているにも関わらず、生物の鳴き声などは一切聞こえることはなく、ただ沈黙を守り続けていた。
クレイズが知り得る限り、これほどまでに大木が生い茂り、月明かり程しか光が届かない場所は夜は魔力光で彩られるどの都市にも在りはしない。
端的に言い表すとそこは都市外――つまり、「森」だった。
強引なポータルの潜り方をした為に、都市からは遠く離れた場所に出たらしかった。
「そんな……これじゃ、とんだ回り道じゃない……」
クレイズが悔しさにも似た諦念をその身に味わい、これからどうしようかと思考を巡らせ始めたその時――
――ズシャリ……ガサリ……。
茂みの暗がりから決して風により生じたモノでない擦過音が聞こえてきた。クレイズは警戒心を高め、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「なっ、何ッ!?」
周囲から反響するように到来する擦過音はクレイズの聴覚を惑わせ、どの方向からソレが接近しつつあるのか、その情報を完全に遮断していた。
視点を激しく移動させながら警戒する。数秒を経て、遂にソレは少女の後方の地面を踏み締めた。
――ッ!
瞬時に振り向くと、暗がりから何者かがゆっくりと歩み出てきた。
「……へッ!?」
――それは、銀髪長髪の少女だった。
その人を見た瞬間、クレイズは駆け寄って倒れ始めたその体躯を抱き止めた。
何故なら、その少女は――体中血塗(まみ)れだったからだ。
血液で全身を朱に染めた少女はクレイズの耳元でゆっくりと、力を振り絞って囁いた。
「――み……みんな、殺されたわ……あの、髑髏に……」